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青い鳥の尻尾 表紙

12.7×20.3cm、268頁
プリントオンデマンド
税込価格:¥1,760

青い鳥の尻尾 

 

著者:ニイ・アイクエイ・パークス、日本語訳:だいこくかずえ

 

2010年度のコモンウェルス賞最終候補作品となった、ガーナの作家ニイ・パークスのデビュー小説です。何百年にも渡って変わることのないガーナ奥地の村ソノクロム、そこで起きた奇妙な事件。不吉な残存物(おそらく人間のもの)が発見され、それを解明するため、イギリス帰りの若い監察医カヨ・オダムッテンが村にやって来る。ヤシ酒とともに語られる村の長老オパニン・ポクの昔話と、科学的犯罪捜査による事件解明の過程がスリリングに交錯する。アフリカと西洋社会、古い世界と新しい世界の対比の中で、現代アフリカ社会のリアルな姿が浮き彫りにされる。

 

[キーワード]
現代英語文学、アフリカ文学、ガーナ、呪術、監察医、ストーリーテリング、ヤシ酒、コモンウェルス賞候補作品

 

[出版社からのコメント]
日本語の世界では、アフリカの作家の小説(中でも若い層の作品)に触れる機会は少ない。しかし英語圏の文芸誌では、才能ある作家がアフリカからたくさん出てきている。ニイ・パークスもその一人。「青い鳥...」にはガーナ奥地の古い風習の中にある村と、今伸び盛りの新興都市アクラ(ガーナの首都)の両方が登場する。この小説の特徴の一つは、文学作品であると同時に、エンターテインメント性があること。三十代前後のアフリカの作家には、この傾向があるように見える。グローバル社会の一員となった、チュツオーラやアチェベの孫の世代により、アフリカの新たな姿が表現され始めている。
2014年1月刊

Kindle版購入の方はこちらから(¥500)

ニイ・アイクエイ・パークス:ガーナの出身の詩人、作家。1974年イギリスに生まれ、ガーナで育った。2007年、詩と文学への功績に対して、ガーナACRAG賞を受賞。詩集に、"Ballast: a remix" (2009年)、"The Makings of You" (2010年)がある。この小説の原典「Tail of the Blue Bird」は、2010年度のCommonwealth Prize(Best First Book)の最終候補作品となった。

photo by Martin Figura

もくじ

 

クワシダ - ンキ・クワシ(日曜日 - 第三週七日)
ドウォゥダ(月曜日)
ベナダ(火曜日)
ウクダ(水曜日)
ヤウダ(木曜日)
フィダ(金曜日)
メナダ(土曜日)

 


クワシダ - ンキ・クワシより

 

 鳥たちが啼きやむことはなかった。そう、何かことが起これば、鳥たちは歌をうたいはじめるんだ。わたしのじいさんの時代には、森は大きくてふかいふかい森だったから、野ブタを捕まえるのにそう遠くに行かなくてよかった。うん、野ブタの足跡は村のへりまで来ていて、獲った肉の味わいは、わたしらにとって水みたいなものだった。しこたま食べたものだ。よく覚えているさ。今はあいつらは森のずっとずっと奥にいる、野ブタはな。だがすべてはオニャメの大きな手の中にある。オニャメ、光かがやくオニャメだけが、ヤギの糞がどうしてああも美しいのかを知っている。わたしらは文句を言ったりしない。森に行けば、そこが天国のように素晴らしい場所だとわかる。鳥たちはみんな色とりどり。赤いの、海みたいに青いの、黄色いの、葉っぱ色のもの、真新しいキャリコのように白いの。あそこで見つけられない生きものがあるかな。わたしの持ち帰った獲物で、一番小さなものと言えば、アダンコだ(ンダンコを捕まえるのは難しくない。ンダンコは隠れているときも、耳が突き出ているから見えてしまうんだ。もしわたしがンダンコの生みの親だったら、とがった耳の先に目を付けただろうな、そうすりゃ安全だ。でもそうなると、わたしがンダンコを捕まえるのが難しくなる。飢えることになっただろうな。うーん、ンダンコよ。あいつらはすばしっこいが、わたしにはいろんなワナがある。それが猟師の暮らしというものだ)。
 だからわたしらは文句など言っていない。村は住みやすい。わたしらの村は、首長の村に近いから、何かあればそこに行って相談すればいい。といっても、この村はたった十二世帯しかないから、問題は起こらない。コフィ・アッタは別だがな。コフィ・アッタはわたしの親戚だ。でもわたしは服が自分で着れるようになる前から、母さんにあの子は困ったことを持ち込む子だと言われていた。覚えているよ、父さんが前の晩にオトゥエ(レイヨウ)を捕まえてきて、母さんがアベンクワンをつくっていたときのことだ。
 ヤウ・ポク、と母さんが言った。あの子と遊ぶときは、目を離すんじゃないよ、いいかい。
 ヨー(わかった)。
 ヤウ・ポク!(母さんは同じことを二度言う人なんだ) コフィ・アッタと遊ぶときは目を離すんじゃないって言ってるの。わかった?
 ヨー。
 母さんはわたしの手をとって、温かいスープを注いで味見させた。それからこう言った。あの子の母さんが出産のとき手伝った女が、へその緒をなくしたんだ、わかったかい? 母さんは頭をふった。あの子のへその緒は埋められていない。そういう子はいつか困ったことを引き起こすんだ。
 だからわたしはびっくりすることもないのだろうけど、もうそのことは忘れていた。そういうことは誰も、考えていなかった。いわば光みたいなものだ。昼の間は光なんて、そこらじゅにあるわけで、誰も気にしたりしない。でもこのわたし、ヤウ・ポクは猟師だから、光に驚かされることはある。わたしは森の暗がりになれているんだ。森を歩くと、ナイフで切り込まれたみたいに、光がわたしに落ちてくる。森を歩いているときは、光よりも音の方に気をとられている。だから光はわたしを驚かすんだ。それと同様に、いくら母さんから目を離すな(気をつけろ)と言われていたとしても、わたしは驚いてしまったんだ。

著者ニイ・パークス、インタビュー(2013年12月)

 

葉っぱの坑夫:あなたはこの小説を英語で書いています。書いているときに、読者として誰を想定していましたか? ガーナ国内と国外、どちらの読者を主に考えていたのでしょう。
(ガーナの人は普段英語の本を読むのでしょうか? 日本ではあまり読まれていません。また作家も英語で作品を書くことは稀です。)

 

ニイ: 小説に使われている言語は、読者が誰であるかということとはあまり関係がありません。わたし自身が読者の一人であるという意味でも。言語の選択は、物語を つくるときの自分の言語能力によるものです。散文においては、今のところ、英語で書くのが一番いいですね。一番書き慣れている言語だからです。とは言うもの の、わたしの英語は、その使い方においてわたし独自のものであり、ガーナの文化によって形づくられたものです。だからガーナの読者は(ガーナでは中学、高 校と英語で教育が行なわれているので、英語で本を読むことは普通です)、国外の人よりも、文のニュアンスをより仔細に受け取っていると思います。と同時 に、国外の人でもシェークスピア愛好家の人は、この本の中のオフォス巡査部長とガルバ巡査の関係に、ドグベリーとヴァージェスの要素を見つけるでしょう し、ウンベルト・エーコのファンなら、彼の小説「薔薇の名前」と響きあうものを感じるかもしれません。このように本が様々な読まれ方をすることからも、わ たしの読者が誰かということを、作品を書いているときに考えることは、あまり意味がないと思っています。少年だった頃の自分にお話をしているように書いて いる、とも言えます。知りたがり屋で、ちょっと変わった、マンゴーが大好きな男の子ですよ。


葉っぱの坑夫​:この小説では、複数の言語が登場人物によって話されています。また章のタイトルも英語ではありません。でもあなたはそれをいちいち説明したり、翻訳したりしていません。それには何かわけがあるのですか?

 

ニイ: なぜ訳さないのかには、いくつかの理由があります。一つは、ガーナでは人々がどんな風に会話しているかを表すためです。わたしたちは、話しているとき、意 識することなく言語をどんどん切り替えていきます(英語、トゥイ語、ガ語、ピジン英語というように)。次にわたしの成長過程で読んだ本の多くは、スペイン 語やフランス語を訳すことなく載せていました。英語の場合も、Yew(イチイ)のような簡単な単語でも、文脈からしか読み取れないことはたくさんあって、 そのわからなさが不思議さにつながるという、そういう経験をわたしの読者にもしてもらいたいな、と。三番目はいくつかの言葉、たとえば植物の名前などは、 英語で何というかわからなかったからです。それに植物が地元原産のものであれば、国外のものと全く同じものかどうか疑わしいこともあります。だからそのま ま現地の言葉で言うのがいいと思いました。


葉っぱの坑夫:日本人のアフリカのイメージは型通りのものが多いです。サファリの野生動物、マサイ族、アフリカの伝統音楽やダンスといったものです。あるいは内戦や貧困ですね。
アフリカの外の人に対して、自分の国やアフリカについて伝えたいことはありますか。

 

ニイ: この本は、ガーナ人のものの見方から書かれているという意味で、それを伝えていると思います。アフリカ全土のことは言えませんが、行ったことのある国(モ ザンビークやリビア、ウガンダ、コートジボワール、南アフリカ、エジプト、ケニア)についてはどこも、ヨーロッパと出会う前の時代から素晴らしい文化や習 慣をもっていると言えます。わたしは食品技術者でもあるんですが、こんなことをよく話します。どんな文化で供される食品も、未開とか野蛮とか言うことはで きない、とね。たとえばキャッサバ(芋類)は西アフリカの多くで食べられている食物ですが、きちんと処理をしないと危険な植物です。またマラリアによる症 状、吐き気やヘビに噛まれるといったことへの対処も、何世紀にも渡って成されてきました。ですからわたしたちアフリカ人は、もちろん踊るし歌うし、アフリ カには確かに野生動物がいます。それに干ばつや貧困もあります。しかしそういったものの基盤には、社会や文化、科学や豊かな歴史が脈打っているのです。


葉っぱの坑夫:あなたはガーナで育ったと聞いています。何歳のときイギリスから戻ったのですか? 戻ってから言葉の苦労はしましたか?

 

ニイ: イギリスで生まれ、四歳のときにガーナに行きました。両親がイギリスでの勉学を終え国に戻ったのですが、わたしは大学に行くようになるまでガーナで育ちま した。イギリスから戻ったとき、言葉の問題はなかったです。それは両親がガ語と英語の両方でわたしを育てたからです。ガ語は主に首都のアクラで話されてい る言葉です。イギリスで生まれたとは言え、わたしの母語はガ語なんです。もちろん、ガーナに戻ってからは、いくつかの言葉をさらに覚えました。ガーナには たくさんの言語があるのでね。

小さい頃の最初の言語(母語)はガ語ですが、英語も身近にありました。その後、ファンテ語と トゥイ語を、それからエウィ語、ハウサ語とダバニ語の片言も買物などのために学びました。またディジョンに1995〜96年に五ヶ月間住んだので、フラン ス語も覚えました。ドイツ語とタガログ語も学ぼうと思っています。わたしの母は、ガ、トゥイ、ファンテ、英語を話します。初歩のオランダ語もおそらく。


葉っぱの坑夫:あなたは詩人としてスタートして、小説を書きました。将来また、小説を書くことはありますか?

 

ニイ:いま、次の小説を書いているところです。詩や短編小説とともに、長編小説も今後書いていくつもりです。


葉っぱの坑夫:この小説が現代文学であると同時に、エンターテインメント小説の一面も持っていることに感銘を受けました。それはあなたの世代から来るものでしょうか。つまりエイモス・チュツオーラやチヌア・アチェベの孫の世代という意味です。

 

ニイ: わたしたちは本として読むものと同じくらい、見聞きしたお話に影響を受けています。だからわたしの書くものが、何を手本としているか、一つ二つをとって言 うのは難しいです。とはいえ、アチェベや*コフィ・アウォーナー、ケン・サロ-ウィワ、ベッシー・ヘッド、チュツオーラ、マリアマ・バなどが成してきた出 版活動によって、アフリカ人であるわたしたちに授けられたものは、わたしたちの世代はもっと気楽に書ける(あるいは書いた方がいい)ということです。一番 いいと思う方法で自分たちのことを語ること。日々の暮らしから感じとるものを鋭敏に反映させ、人間性を追求しそれを表す、そういうことだと思います。


葉っぱの坑夫: この小説の語り手の一人、オパニン・ポクはヒョウも捕らえる有能な猟師です。しかし音楽が好きで、奥さんと仲が良く、英語を習っていたりと、違う側面も もっています。ある種の昔気質の人間だとは思いますが、もっと柔軟性があり、家父長的なところや封建的なところはないですね。誰かモデルになる人がいたの でしょうか。

 

ニイ:オパニン・ポクは、わたしが子ども時代に出会った、数知れない村の老 人たちから抽出した人物像です。この人たちは、クワメ・ンクルマア(ガーナの初代大統領)の成人教育課程の恩恵を受けた世代で、地元の言葉で読み書きがで きました(英語も選択肢としてありましたが)。しかし同時に彼らは、自分たちの文化の中に腰を据え、土地としっかり結ばれていました。また遊び心があり言 葉遊びのような冗談が大好きでした。都市部に住む同世代の人たちとは、大きな違いがあると感じています。その人たちはもっと硬直していて、(男性の場合) 愛国者的で、生真面目で、(わたしから見ると)自分が誰なのかについて不安を持っているようでした。


葉っぱの坑夫: この質問は個人的な興味からなんですが、2014年にブラジルでサッカーのワールドカップがあります。ガーナも2010年大会につづいて出ていますね。 2010年のガーナ代表はとても印象的なチームでした。選手たちのパワーやスピードもそうなんですが、チームとしてディシプリン(規律)があって一集団と して効果的に戦っていました。ドログバのようなスター選手がいないのに、魅力的でした。このチーム、あるいは彼らのプレースタイルは、ガーナの国民性と何 か関係があるのでしょうか。

 

ニイ:おそらく。ブラジル大会が終わったあとなら、もっとうまく説明できるんじゃないかな。大変なグループ(ドイツ、ポルトガル、米国)に入ってしまったけれどね。

葉っぱの坑夫:日本語の読者に何か伝えたいことはありますか。

 

ニイ:日本の人がこの小説を読んでくれたらとても嬉しいです。それから、出版前に、日本語訳を読んで感想を聞かせてくれたマリコ・イシカワとアドマ・マンフルにありがとうを。

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