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小さなラヴェルの
​小さな物語

作:コンガー・ビーズリー Jr. 絵:たにこのみ

訳:だいこくかずえ

長い昼寝 ~ 牛車に乗ってバスクの村へ [ 42 - 43 ]

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42

 

 ビアリッツ飛行場についに着陸したとき、長い長い昼寝をしていたのはアルトーでした。数時間にわたり、手荷物預かり所で、西アフリカに送られる郵便物の袋の上に、大の字になって寝ているアルトーを、モーリスは起こすことができませんでした。何か一緒に食べようと思って、起こしにかかりましたが、アルトーはピクリともしません。モーリスは我慢強く待ちました。母親のいるサン=ジャン=ド=リュズに何時に着くかは、問題ではありませんでした。友だちのアルトーは、ナントから大変な旅をしてやって来たのですから。4000フィートをさほど超える高さを飛んでいたわけではありませんが、ビアリッツに飛行機が着陸したとき、アルトーのくちばしや鼻孔、ゴーグルの表面には、氷の幕が張っていました。この試練の結果、アルトーが肺炎やインフルエンザにかからないと誰が言えるでしょう。モーリスは、アルトーの頭をポンポンとたたきました。そして飛行場の待合室に戻り、アンジェを発ってから何があったか、キャサリン・デュクロにはがきを書きました。ルフェーブルが自分をカルデロンのデッキからさらおうとしたことを書いているときは、モーリスの手が震えました。書き終えると、木の硬いベンチでなんとか快適に過ごそうと丸くなって、アンドレ・ジッドの小説『法王庁の抜け穴』を読むのに没頭しました。

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 夜番の事務員が、音をたてないよう静かに事務処理をしていました。頑丈そうな角張ったからだに丸々とした手、少し頭が禿げかかっていて、しわがれた歌うような声の持ち主でした。パリからの速達は明日の朝9時ちょうどに届く予定で、書式や内容のすべてが完璧であれば、モーリスは行政官からそれを手に入れることになります。郵便物は今回、アフリカ西部のセネガルまで行き、そこから南大西洋をわたってブラジルに行き、そこからブエノスアイレスへ、さらにチリのサンティアゴまで行くことになっていました。少し前に、事務員がモーリスに太い指で、点のように小さなビアリッツから南へ下り、南アメリカまで行くルートを説明しました。その距離の長さに、モーリスは驚きました。広大な西アフリカの砂漠、大西洋の大きさ、つづくブラジルの熱帯雨林、アルゼンチンの細長い大地の広がり、そしてアンデスの高くそびえる山。

 

 すごいなあ、とモーリスはつぶやきました。どれほど才能に恵まれたアーティストであっても、そのすべてを表現することができる人はいないでしょう。それがアーティスト、ということでもないでしょうが。モーリスだって、宇宙が地球の上空高いところで出す音を、音楽にすることはかないません。できることは、自分がよく知り、受けとめ、感じ、直観できるものを、いい香りのブドウから味わい深いワインをつくるように、フレーズとして絞りだすことです。

 

 モーリスは読んでいた本を顔に乗せ、トゥールーズの同僚と電話で話す事務員の声を聞きながら、硬いベンチで眠りに落ちました。

43

 次の日の午後、トボトボと牛が引く、わらを積んだ木のカートの中で丸まり、モーリスとアルトーは風光明媚な海沿いの町、サン=ジャン=ド=リュズへと入っていきました。空港を出てからビアリッツの町なかをとおりゲタリー村まで、いくつものバスを乗り継いで、ガタガタ揺られながらやって来ました。ゲタリー村で舗装道路が途切れると、土ぼこりの道を海岸沿いに南にむかってくねくねと進み、糸杉に囲まれたポツポツとたつ農家や、段々畑やブドウ園におおわれた丘を通り過ぎました。サン=ジャン=ド=リュズまで乗せていってくれた農夫は、バスクなまりのフランス語を話したので、モーリスはすぐに子ども時代のことを思い出し、そこに一人浸っていました。アルトーにはその言葉が聞き取れませんでした。アルトーの気分はだいぶ良くなっていました。夜たっぷり寝たあとも、以前の元気を取り戻すには至りませんでしたが、前の日よりは痛みも減り、気分もよくなっていました。その漁村は、傾斜のきつい沿岸の端っこにしがみつくようにありました。こぎれいな明るい色のバンガローが並ぶ石畳の道は、漁船をつないだ木の船着き場へとつづいていました。

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 「ここまでくれば大丈夫」とモーリスが農夫に言いました。クレベールという名の頑丈なからだつきの男で、首の脇にかなり大きなこぶがありました。「ここで降ろしてください」

 

 モーリスはお札を何枚か取り出しました。クレベールは最初、躊躇していましたが、モーリスが、ゲタリー村からサン=ジャン=ド=リュズまで長い距離を乗せてきたのだからと言うと、折れてお札をダブダブのズボンのポケットにしまいました。「ありがとうございます、小さなお方」としわがれ声で返しました。

 

 アルトーがうんうん言いながらカートを降りました。まだ肩が痛み、右の翼は自分のお腹より高く持ち上げることができませんでした。胸のあたりにサドルバッグを巻きつけ、モーリスのあとを追って、船着き場に沿ってヨチヨチとついてきました。くたびれた革のブーツにチャリチャリと音をたてる拍車、バンダナを巻いた頭、その顔には汗のしみ、珍妙な格好のアルトーでした。

 

 湾に突き出た岬の先端にある小さなカフェに、二人はすわっていました。素朴な店で、ひなびた、くつろげる雰囲気で、低い天井に丸太を割ってつくったバー、鉄のオーブンが音をたてる料理室があり、テーブルと椅子がいくつかありました。外のデッキにもテーブルが置かれ、そこから青く燻んだ湾と、突き出した砂利土の岬が臨めました。穏やかで暖かな午後でした。春の気配が漂い、モーリスが逃れてきた寒くてどんよりとしたパリの天気とは大違いでした。(それを思い出して思わず身震いするモーリスでした)。

 

 二人は外のテーブルに陣どっていました。モーリスはタバコに火をつけました。地元のワインが飲みたくなりました。フルーティでかなり強いワインだったと、モーリスは思い出していました。ベルダンの戦いで足を負傷した、背の低い針金のような男が、注文を取りに足を引きずりながら店の中からやって来ました。毎日たくさんワインを飲むため、顔が赤く焼けていました。その目はトロリとしていましたが、充分に親切で文句も言わずに二人の注文を取っていきました。

 

 「中に電話はあるのかな?」 モーリスが聞きました。

 「ええ、ムッシュー、あります」

 

 ウェイターの男は足を引きずりながら店の中に戻りました。ビスケー湾の向こうには、濃い紫色の山々が恐ろしいほどの威圧感で立ち上がり、その険しい斜面は深い森におおわれていました。「ほら、見てごらん、アルトー」 モーリスは眠たげなアルトーに言いました。アルトーはなんとかうなずいて見せました。「ピレネー山脈っていうんだ。スペインは向こう側だ」

 

 アルトーは空いてる椅子にブーツをはいた足を乗せて、すわり直しました。左の翼の先で、照りつける太陽の光を遮りました。「じゃあ、あそこが国境なのかな?」

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 「そうだ。あと2、3キロ行ったら、フランスが終わって、向こう側のスペインに入る」

 「すごい、やったね、モーリス。やっと来たんだ。きみがこうしようと言ったとおり、やって来たわけだ。スペインは手にとれるほど、すぐそこだ。本当に手を伸ばせば、触れるくらいだ」

 「うん、、、、そうだね」

 「で、ママはどこに住んでいる?」

 「この海岸線を行ったところだ、1キロちょっとのところだ」

 「ばんざい! 今晩は手料理を食べて、12時間ノンストップで眠れる!」

 

 アルトーがモーリスを横目で見ながら聞きました。「ピレネーを超える前に、ここで2、3日休めるのかな? すごく高そうな山だし、きっと空気が薄い、それにぼくは昔みたいに若くないから」

 

 「好きなだけいることができるよ、アルトー」

 

 モーリスは手元で燃えるタバコに目を落としました。それから目の前に立ち上がる大きな山を見上げました。「こうやってここまでやって来て、何故わたしたちがここにいるのか、いま一度考えなきゃね」

 

 モーリスはアルトーにではなく、自分に語りかけるように言いました。しかしアルトーはその言葉を捉えました。「きみの言ってることが、よくわからないよ、オナカマ。でも問題はない、きみに意味があるのならね」

 

 ウェイターが二人の飲みものとスライスオニオン、緑の甘唐辛子、黒オリーブの器と、外がパリパリして中がもっちり柔らかいパンの塊を持ってきました。モーリスは空高くそびえる青い山々を見上げました。そして頭の中で、未知の音楽が湧き上がってくるのを聴いていました。ワインを飲んで、タバコをもう1本吸い、しばらく山を眺めたら、カフェの中に入っていって、母親に電話をかけようと思いました。

  

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