小さなラヴェルの
​小さな物語

作:コンガー・ビーズリー Jr. 絵:たにこのみ

訳:だいこくかずえ

別れ~定期船に乗って [ 32 - 34 ] 

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32

 

 その朝おそく、モーリスはお百姓が雄牛の背にまたがるように、ヤンニの背に乗ってアンジェの町に入りました。そこでビスケー湾行きの定期船に乗って、ナントへと下るつもりでした。アンジェは大西洋岸にある大きな市場のための、内陸部に置かれた輸送基地です。ロワール川がゆったりと湾曲している川辺に沿った町で、北部から流れてくる二つの支流の合流点の近くにありました。波止場は停泊している平底船や荷船や丸木舟、キールボートに、荷物を乗せたり降ろしたりする作業員でいっぱいでした。そこはごった返していて、ものすごい騒音でした。大声が行き交い、互いをなじる声、どなる声が響きます。誰かが荷物を落としたり、荷を積んだ舟を転倒させればなおのこと。箱がいっぱい波止場に並び、内陸部のたくさんの町へ運ばれるのを待っています。ロワール渓谷のワイン樽、アキテーヌ地方の白チーズの塊、コートジボワールのコーヒー豆の詰まった麻袋、ドイツ、オランダやベルギーなどの低地帯の工業製品、南北アメリカの機械部品や青々としたバナナの房。

 

 ロワール川に2度も浸かったモーリスは、新しい服が必要でした。アンジェのダウンタウンにあるオシャレな服屋で、新しい上下(スラックスとカジュアルなジャケット)を買いました。モーリスの小さな肩やさらに細いウエストにぴったり合うようカットしてもらいました。気分をよくして、ネクタイをいくつか、シルクの胸ハンカチーフも加えました。さらに2色コンビのウィングチップの靴も揃えました。着ていた服や靴は丸めて捨てました。この2周間、酷使されていたものです。服屋の試着室で、モーリスは新しい上下を着て、パステルカラーのシャツにレモングリーンのネクタイを締め、金色のタイピンを付けました。2色コンビの靴は、カーキ色の上下にとても似合っていました。仕上げとして、中に短い剣を収めた細いステッキを買いました。支払いは、モーリスの名声により金額欄が空白の小切手が使われ、地元の銀行家の署名がありました。

 

 道端の商店で、安い革製のスーツケースを買い(気に入ったものではないけれど、カバンが必要だったので)、買ったものを入れました。まあパリでは(いやリヨンでも)難しいでしょうが、ここアンジェであれば、正真正銘のダンディと言えます。モーリスはヤンニと並んで、買った服を入れた革のスーツケースを手に、通りを歩きました。ヤンニは曲がった足でのったりと歩き、知り合いがいれば止まって挨拶をし、誰かわからないときは、古き良き田舎風にじっと視線を送りました。気持ちのいい春の日でした。お日さまが輝き、南からの風を感じさせる暖かな空気が、モーリスの高々とした鼻(の穴)を満たし、ウキウキした気分にさせました。

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 午後4時まであと10分というとき、ナント行きの3段デッキの定期船カルデロンのタラップの下に、モーリスは立っていました。そしてヤンニにさよならを言いました。波止場は船に乗ろうとする乗客で混み合っていました。作業員たちが最後の重い積荷をデッキに乗せていました。「これが一番、悲しいときだな」とモーリスは腕をヤンニのシワシワの首にまわして言いました。ヤンニは、納屋の奥の肥料の中に置かれた古い靴のような臭いがしたかもしれませんが、モーリスはまったく気にしていませんでした。「きみは一度ならず、わたしの命を救ってくれたね」 かすれた声でモーリスは言いました。「だからきみのことは一生忘れないよ、一番の友だちだ。いつの日か、戻ってくるよ、春か夏のきみが起きているときにね。そして乾杯して、昔の日々を思い出すんだろうね」

 

 「さようなら、マエストロ」 ヤンニもノドをつまらせ、ゴクリと唾を飲み込みました。

 

 ステッキを振りながら、モーリスはタラップを登り、カルデロンの上甲板に集まっている群衆の中へと消えていきました。

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33

 

 船は2、3時間、航路を進み、モーリスはと言えば、タバコの煙でもうもうとする部屋に座っていました。緑のベーズでおおわれたテーブルでは、ギャンブラーたちが集まって、ブラックジャック(トランプの21)で遊んでいました。彼らは持ち手が21に近づくと、ポンとテーブルを叩いて、ディーラーにカードを催促しました。ディーラー(緑のバイザーをかぶって目を隠し、だぶだぶした白いシャツの袖を二の腕にたくしあげ、黒いバンドで止めたこの世界のキレ者)は、完璧な冷静さでカードをプレイヤーに配りました。ラフなコール天、潮を含んだウール、汚れた麻の服を身にまとった田舎育ちと小さな町育ちが混ざり合い、船橋のすぐ下の遊歩甲板にある部屋に群れ集まっていました。モーリスはその中で、明らかにベストドレッサーでした。2、3度、自分のことに気づいた人がいるかもしれないと思いましたが、フランスの田舎の礼儀に従って、誰も何も言いませんでした。テーブルのまわりを飛び交う下品な物言いを、モーリスは楽しんでいました。生まれからくる上品さと行儀の良さはあったものの、モーリスは荒くれたちとうまくやれることで知られていました。また誰にも劣らず、タバコを吸い、酒も飲めるクチでした。彼らの無愛想な態度や正直さを愛(め)で、気取らず、言い逃れや威張ることのない人たちといると、楽しくなると感じていました。アニセット(リキュール)をすすりながら葉巻たばこをたぐり寄せ、いくつか勝ち、いくつかは負け、笑みを浮かべて金を失いました。

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 「オレたちの国の大作曲家が姿を消したって、聞いたかい?」 肉づきのいい赤ら顔の男が仲間にむかって聞きました。「パリのアパートから、2、3週間前に消えたらしい。以来誰も姿を見てないんだとよ。国中がそいつを探してるとさ」

 

 この男は、モーリスの目を見ないようにして言いました。

 

 「そっなこっちゃきいたな」 レインキャップに床まで届くレインコートを着た別の男が言いました。「そいつがボルシェビキにさらわれたんじゃねーかて、ルシアにつれてかれてな、カキメイのびとっくをもりたてる歌をかかせるってさ」

 

 「そりゃおそろしいことだな」と3番目の男。「そんなもん自分らの作曲家にまかせりゃいいだろが。あいつらだって上物がいるってことよ」

 

「でもやつほどじゃない」 ディーラーが声をあげました。「そいつは最高なんだ。誰もそいつほどの曲はかけん。カードはいるか?」 ディーラーがモーリスに向かって無表情に聞きました。「いや、けっこう、このままでいい」とモーリス。

 そのゲームもモーリスは負けました。数分後、モーリスはディーラーにたっぷりのチップを渡して、点棒(カジノチップ)を換金しました。ディーラーは緑のバイザーの縁に手をやって、感謝しました。

 

「良い日でありますよう、みなさん。本当に楽しかったですよ」とモーリスが言いました。

34

 

 カルデロンの後部甲板で、排気筒の後ろに空っぽのハンモックがあるのを見つけ、モーリスはそこでからだを伸ばしました。船の図書室で見つけたジュルジュ・シムノンのミステリー小説を広げ、読み始めました。穏やかな春の夕べで太陽が沈みはじめ、静かに流れるロワールの岸辺に並ぶ背の高い木々や花をつけた低木が、影を伸ばしています。モーリスは本を読みながら、ときどきうとうとしました。船倉の奥から聞こえる、力強いエンジン音の鼓動にあやされていました。船は明日の朝10時ごろに、ナントに到着する予定でした。モーリスはナントから南へと向かう計画で、まずボルドーへ行き、それからビアリッツへ、そしてスペイン国境からすぐのサン=ジャン=ド=リュズ(今も母親が住んでいました)へと向かうつもりでした。

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 もう何年も母親とは会っていません。父親はすでに死んでいましたが、小柄でぽっちゃりとした、バスクとスペインの血筋をもつ母親は、いまも元気に暮らしていました。母親がこんな田舎に住んでいなければ、モーリスはもっとしばしば訪ねていったでしょう。何度もパリに母親を招きましたが、旅をあまりしたがりませんでした。母親はサン=ジャン=ド=リュズの小さな家と、ピレネーの壮大な眺めを愛していました。

 

 太陽の光はほとんど消えかかっていました。カルデロンをゆっくりと飲み込むように、穏やかな川面から闇が立ち上ってきました。モーリスにも、他の誰にも、船橋にいるアルマンド船長にさえ気づかれずに、くすんだ色のみすぼらしい、これといって特徴のない荷船が距離を縮めながら、この定期船のあとを追っていました。その船首の船べりの下にしゃがみ込む、悪名高い三つの顔がありました。1番目は無慈悲なトラネコの押しつぶされた顔、2番目はコルシカ島のしかめっ面、そして3番目は、この奇妙な話の読者にはおなじみの、二重あごにあごひげの残忍な海賊男でした。

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