小さなラヴェルの
​小さな物語

作:コンガー・ビーズリー Jr. 絵:たにこのみ

訳:だいこくかずえ

ヤンニの子供時代~恋と友情のはざまで [ 29 - 31 ]

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29

 

 ルネ・デュクロはペイ・ド・ラ・ロワール地域にある、名の知られたワイン製造業者です。地所は数百エーカーに及びます。ブドウやいろいろな果物に加えて、大麦、小麦、トウモロコシを広く生産しています。デュクロの知るところでは、17世紀半ば以来、約10世代にわたって一族はロワール川に沿った実り豊かな湿潤な低地で、作物を育ててきました。披露するような城こそもっていませんでしたが、広々とした農地と快適でたっぷりした広さをもつ、地元原産の石を切り出して作った家があり、そこを立派な家具で埋めつくしていました。

 

 ヤンニとラヴェルがデュクロの家にやって来たとき、この家の主人はトゥールで開催されている農業大会に参加していました。娘のキャサリンと料理人の年老いたピラールしか家にいませんでした。この料理人は何年もデュクロ家にいて、いつからいたのか誰も覚えていないくらいでした。

 

 ヤンニはいったいこの料理人が何歳なのか、想像もつきませんでした。最低でも50歳か? あるいは100歳とか? ヤンニの記憶は曖昧でしたが、ロワール地域にまだ自動車が走っていなかった頃のこと、一歩一歩、特別に急ぐこともなく、みんなが自分と同じ速さで歩いていたときのことを覚えていました。ヤンニがまだ小さかった頃、ムッシュー・デュクロと友だちになったときのことはよく覚えています。川辺までくだる草の斜面を転がりまわっていた自分を、水に落ちたときのことを考えて、デュクロ氏は見守ってくれていました。キャサリンがまだ小さかった頃から知っているのは確かです。ヤンニはデュクロ家をしばしば訪ねていました。中でも夏に、川辺から森のような庭園にかけて広がる草地をうろついているときには。秋になれば、その草地で、ムッシュー・デュクロは友だちとキジやシギを狩りました。ロワール川のこちら側は、湿度が高くじっとりとしていました。ヤンニは草地が好きで、そこで食用の草を見つけて食べていました。ヤンニはこのあたりにずっと住み、感じもよくおおらかな性格だったので、ムッシュー・デュクロはヤンニがここをうろつくことを許していました。

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 キャサリンがまだ小さかった頃から、ヤンニとキャサリンはずっと友だちでした。二人にはなんの共通点もありませんでしたが、一緒にいることを楽しんでいました。まだキャサリンが小さくて、母親が生きていた頃、ヤンニは広々とした心地よい背中にキャサリンを乗せて歩きました。年月がたつうちに、キャサリンは大きくなって背に乗ることはできなくなりましたが、パリの学校に行くようになっても、二人の仲の良さは変わりませんでした。まだ小さかった頃、キャサリンは3月か4月の初めにヤンニが庭をうろうろしはじめるのを見つけると、春がやって来たと気づくのでした。イースターの服を着たキャサリンが、声をあげて外に走りでて、ヤンニに抱きついて、乾いたウロコ状の頭のてっぺんにキスをしました。ヤンニは目をつむり、首を振って、愛を込めてシューシューと息を吐き、それに応えました。

 

 キャサリン・デュクロの美しさは、働き者の農夫たちがたくさん住んでいるロワールの谷で、もちきりになりました。キャサリンが16歳になる頃には、熱心な求婚者たちが自分の男らしさや有能さを競って集まってきました。若い男たちの多くは、勤勉さを見せようとしました。それがデュクロ氏の婿の条件の最上位にあったからです。しかし年月が過ぎていく中、キャサリンは誰であれ結婚には興味を見せませんでした。このことはムッシュー・デュクロを悲しませました。時がきたら、なんとしても、自分の農地を男の跡継ぎに継いでほしかったからです。キャサリンはこの土地が好きでしたが、父親であれ、夫であれ、誰であってもいっしょに農業をやることには興味がありませんでした。パリの大学でキャサリンは音楽を学んでいて、コンサート・ピアニストになりたいという望みがありました。キャサリンは、モーリスが自作を演奏したり、舞台挨拶をしたコンサートで、その姿をたくさん見てきました。モーリスが自分の家に来る以前は、顔を合わせたことはなかったのですが、その才能とかもしだす特別な雰囲気に尊敬の念を抱いていました。モーリスの気品ある顔とスクっとした立ち姿に、創造の神、アーティストを支援し、最高の作品をつくるよう説く、古代ローマの神々の一人*の生まれ変わりを感じました。

*詩歌や音楽など芸能・芸術の神として知られ、知恵と美しさの典型ともされるアポローンのことだろうか。

 

 ヤンニとモーリスは、キャサリンの家で3日間過ごしました。そのときには、モーリスに生命力が戻り、以前の自分に帰ったと感じていました。最後の日、モーリスは家でキャサリンの手伝いをしました。小さな村の生まれであるモーリスは、勤勉さの価値を知っていましたし、その日に決められた仕事を終らせることの大切さもわかっていました。野良仕事したり、鍬や鋤やトラクターの具合を熱心に調べました。最後の晩、ピラールはとても豪華な食事をサッと作り上げました。セージとスイートバジルをあしらった子羊のあばら肉に、スカロップト・ポテトとグリーンサラダを添えて。キッチン中央に置かれた、がっしりした脚の食卓の上に乗せられた横木から首を伸ばして、ヤンニがケールとセロリーに噛みついています。キャサリンとモーリスはワインを何杯か飲みました。食事の終わりには、二人ともほろ酔い加減でした。モーリスは小さな男ではありましたが、飲みたいときには人並みにワインを飲むことができました。

 

 キャサリンはラヴェルの作品集からさらなる楽曲を弾きました。中でも『クープランの墓』の演奏は、モーリスの心を打ち、あふれる喜びで背中がゾクゾクしました。ヤンニは甲羅の中に引きこもり、背に乗せている固い甲羅の下から大いびきを発していました。それぞれソファにすわって、パチパチと弾ける暖炉の火の方に足を向けて、キャサリンとモーリスは音楽について話しつづけました。キャサリンはどんな風に作曲をするかについて、モーリスに質問を投げかけました。毎日作曲をするのか。常にインスピレーションを必要とするのか、それとも犬が古いソックスにこだわるように、一つのアイディアを長いこと反すうするのか。作品が演奏可能になったと思えるのはいつか、あるいはいつそうなるのか。

 

 「それが自分がコンサートピアニストになれない理由じゃないかと、、」とキャサリンが告白しました。

 「それとは?」

 「わたしには完璧になるまで、ひと所にとどまっている忍耐がないから。少しの間はコツコツとやることに満足しているけど、新しいインスピレーションを手に入れると、そっちに流されてしまうの。刺激的ではあるんだけれど、長い目でみると、失望につながる。10年後に、成果になるものがあまりないんです」

 「安定して、集中が途切れないことが大切だね」と、モーリスは賛同しました。

 

 モーリスの表情はくつろいで、穏やかでした。あの川で経験した大変な思いの後に、やっといつもの自分に戻ったと感じていました。世界が思いがけない局面を迎えることはありますが、モーリスの人生ではたった一度だけ、第一次世界大戦で救急車の運転手をしていときに、制御不能の状態に陥ったことがありました。そのとき目にしたのは、目を覆うばかりの破壊でした。それは幻覚としか思えない光景でした。荒涼とした音のない世界、恐怖と不安に満ちた悪夢の街そして街。破裂弾によってえぐられ、切り刻まれ、引き裂かれた肉体と流れる血がありました。モーリスがそこから立ち直るのに、何年もかかりました。

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 話題は創造性に移っていきました。過去に起きたことの燃え殻から、新しい展望を生み出す力について。

 

 「自分自身を繰り返してはいけない」とモーリス。「世界は日々、新しく生まれ変わる。自然界だけじゃない、産業や科学から生まれてくる発明も同じだね。アートにも同じ尺度が必要だ。作曲家もアーティストも作家も、昨日生み出したものと同じように、新鮮で独創的なものを明日も生み出す責任がある。古いものの焼き直しは、老いぼれと知ったかぶりの専売特許だ」

 

 モーリスはグラスに残った最後のひとしずくを飲み干しました。ヤンニのいびきが、たくさんのセミが一斉に鳴くようにあたりに響きわたっていました。

30

 

 二人はそれぞれの場所で、真夜中を過ぎてから眠りに落ちました。暖炉では最後の残り火がパチパチと音をたてています。少ししてモーリスが目を覚ますと、誰かが隣りにいるのに気づきました。モーリスとキャサリンは向かい合って、すぐ近くで横になっていました。なんてことだ、とモーリス。なんて素敵なことなんだ。キャサリンの静かな吐息がモーリスの頬や鼻にかかりました。その手はモーリスの小さな胸に軽く乗っています。

 

 これをどう解釈したらいいものか。本当に一つになったわけでもないのに、まるで恋人同士のようです。モーリスは困惑しました。キャサリンは暗闇の中で目を覚まし、モーリスが寝ている場所まで手探りでやって来て、隣りにからだを横たえたのです。これは何を意味している? モーリスはここまでの人生で、それほど多くの恋を経験してきませんでした。競争に打ち勝つため、自分の芸術のために身を捧げてきました。結婚したことはなく、しようとも思いませんでした。女性の友人や仲間と楽しく過ごしましたし、彼女たちの注目や魅力を楽しみもしました。話を聞いたり、アドバイスをすることで、できるかぎりお返しをしてきましたが、深い関係をもつことはほとんどありませんでした。そんな風で、モーリスは少し変わっていました。ポツンと離れた惑星のように、向かってくる物体と衝突する危険もなく、孤独の中を漂っていました。それは単純明快な生活でした。人生のすべての面で、才能を開花させることが優先されました。

 

 モーリスはほっそりした美しい指を、キャサリンのもつれた髪に通しました。キャサリンの規則正しい吐息が、無精髭のはえたモーリスの頬や顎をなで、皮膚を震わせませした。キャサリンの気持ちに応えたいと願っても、モーリスがその気になることはありませんでした。子どものように、モーリスの性的関心は様々なものに拡散し、一つに集中することがありませんでした。それは自分が息をしているまわりの空気全体に向けられました。植物、動物、青々とした草地に注がれる太陽の光、風でさざ波をつくる川面、すべてのものが、モーリスにとっては「セクシー」でした。

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31

 

 朝になってある解答がもたらされました。モーリスの右足の靴の中に、メモが入っているのを見つけたのです。

モーリスへ

 

わたしがいることで、あなたは困惑しているように見えます。とても残念です。あなたは他の誰のでもなく、自分の道を進んでいくべきなのでしょうね。あなたにとってこの放浪の旅は、小さな出来事にすぎないんだと感じています。パリに戻って嵐を巻き起こしてから、それに気づくのでしょうね。あなたがそこから逃れたくなったら、わたしの家、そして父の家はいつでもあなたを待っています。あなたは唯一無二の、素晴らしい先生です、作曲家としてというだけでなく、あなたの生き方もです。あなたは自分の直観にいつも従っていくべきです。

 

わたしはトゥールーズに向けて、朝早く発ちます。数日間は戻ってきません。ボン・シャンス、大好きな友だちモーリス、幸運を願ってます。はがきを送ってくれたら嬉しいです。

 

キャサリン