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小さなラヴェルの
​小さな物語

作:コンガー・ビーズリー Jr. 絵:たにこのみ

訳:だいこくかずえ

ルフェーブル船長 ~ 逃走 [23 - 24]

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23

 

 それから3日間、モーリスは自分にもアルトーにも害が及ばないよう、細心の注意をはらっていました。ルフェーブルは捉えた人質を大きな木の格子檻に閉じ込め、どこへでもそれを持ち歩きました。自分の船室、船の後尾にある調理場兼食事室(食べものの臭いがプンプンする)、お楽しみ(マリファナや混ぜものなしのアヘンの袋)を保管している船倉の奥の穴、そして午後の光あふれるデッキへと。そこでハンモックに揺られ、通り過ぎる木々や牛、草原をのんびり眺めるのです。この男は質問をあれこれすることに、飽きることがありません。ルフェーブルはモーリスの作曲家として、音楽家としてのキャリアに尽きない興味をもっていました。「おまえが姿を消したことを誰も気づいてないのか? なんでまたパリを離れたりした? 驚いたよ、おまえのような有名な芸術家は守られているはずだろ、こんな突拍子もない遠出の旅からはな」

 

 ルフェーブルは手にしたタバコから黄色い煙をたっぷり吸い込み、強い香りのワインを木のコップからすすりました。それは3日目の午後も遅い時間で、みんな揃ってエドモンド・ドレイファスのデッキにいました。

 

 大きな平底船が下流へと向かい、小塔に突出し狭間がある風雨にさらされた古い城を過ぎました。午後の傾いた光が、川辺や土手のリンデン並木をなでていきました。ロワール渓谷では、冬の極寒期は終わっていました。なめらかな川面を湿った風が流れます。ムースは木箱の上をすっぽり覆うように寝そべっていました。フサフサした尻尾をたらし、ヘビのようにクネクネさせています。人質を押し込めておくため、時折、木の柵の間に手を突っ込み、モーリスとアルトーを手で探り、大きな手の平でいたぶりました。髪をボサボサに逆だて、ヒゲは伸び放題、からだは麻袋におおわれて、モーリスはまるで戦争中の捕虜のようでした。ルフェーブルはモーリスに飲みたいだけワインを与え、手巻きのタバコも吸わせました。若いときにはかなりの酒好きだったモーリスは、いま好きなだけ飲んでいる自分に気づきましたが、しぼんだ気分をさらに落ち込ませるだけでした。アルトーは最初の一杯で眠り込んでしまいました。膨らんだ羽の下に頭を押し込んで、クウクウといびきをたてはじめました。モーリスは起きて、あれこれ策略に頭を巡らせていました。

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 その日の午後、ルフェーブルは檻をデッキに持ち出し、船尾の近くにある荷の入った木箱の間にハンモックを吊るし、そこに横たわっていました。船尾では日に焼けた背の低い乗組員、スクラドゥという名のコルシカ人が、舵を操作していました。舵の正面には、4メートル近い帆なしのマストが伸びています。その頂上には、ルフェーブルの服がいくつも掛けられ風に舞っていました。ムースは主人の後に従い、用心深さを見せながらやって来ました。からだのまだら模様が、午後の日差しを浴びて光を放っていました(このような南の地域では、空気は冬の寒さからほど遠いのです)。モーリスはルフェーブルからはもっと悪いことを予想していましたが、この船長は驚くほど穏やかな態度を見せています。モーリスは、自分たちはムースの餌にされると思っていました。光る歯の間で、ビスケットのようにバリバリと噛み砕かれるのです。しかしルフェーブルは違うことを考えているようでした。

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 「もし俺が文化大臣だったらな、おまえを外国におくるだろうけど、ただの武装衛兵だからな、おまえの動きを監視するだけだ」 そう言ってため息をつきました。ハンモックに横になり、ワインをガブ飲みし、タバコから煙の輪を吐き出し、異国の高官のようにプクプク、ギラギラしていました。ムースは時折、デッキの板材の上に降りてくると、磁器のボールから溢れそうなワインをなめました。

 

 「おまえは見たいものなんだって見ることができるぞ。それから護衛がパリまでおまえを連れ戻して、仕事場まで送っていく。そしてドアのところで見張ってるから誰かに急かされることはない。書くべきものをひとたび見つけたら、アーティストっていうのは囲われる。そうすれば邪魔が入らず仕事ができるってわけだ」

 

 ところがモーリスがスペインに行く必要があると話し終わると、ルフェーブルの怒りが爆発しました。

 

「スペインですよ、船長さん、、、スペインです」 小さなラヴェルの顔が喜びに輝きます。「スペインに関する曲をたくさん書いてきた。スペインはわたしの想像力を刺激する。夢に見たりもする。そこに行って何か手にする必要があると感じてるんです。実際の出会いを通してね、わたしの内なる想いが、新たなヴィジョンを生み出すんです」

 

 ルフェーブルが吸い込んだタバコの煙でむせました。船長の窪んだ胸と膨らんだ腹の谷間で丸くなっていたムースが、ドサリと音をたててデッキに落ちました。

 

 「なんだって? ムッシュー・ラヴェル、お言葉を返すようだが、こんな馬鹿げた話は聞いたことない。俺の言うことを頼むから信じてほしい。俺の人生はずっと船の上だった。西ヨーロッパのあらゆる川を行き来してきた。旅で移動することは、俺らが問題をさけるやり方だ。旅していれば、いつまでも子どものままでいられる、腐ることがない、死に向き合うこともない。ありがたいことだ、同じ場所にじっとしてるのは骨が冷たくなって、血の流れが悪くなる。しかしな、おまえのマネージャーとして、エージェントとしては、スペインやらどこやらに行ってうろうろすることは許さない。それはおまえの気分を落とすからだ。だめだ、ダメダメ、先生いいかな。おまえは俺のつくった小さな檻に慣れるようになっていかなきゃ。いまはハトがいるからちょっとばかり窮屈だろうが、ハーバートがうまいパイに仕立てれば、おまえは好きなだけ手足を伸ばすことができる。本物のアーティストってのは、仕切りが必要だ、いいかな、それを受け入れてありがたく思ってくれ」

24

 「ちちち、モーリス、、、?」

 「ウムムム、、、」

 「モーリス、、、?」

 「なんだあ、、、?」

 「シーッッ、、、声をおとして、、、」

 

 モーリスはぼんやりと目をあけました。ワインの嫌な味が舌に張り付いていました。頭が湿ってカビ臭く感じられました。半月がエドモンド・ドレイファスのデッキに差し込み、積荷やハッチを淡い光で染めています。荷船は土手のドックにしっかりと固定されていました。ジュール・ルフェーブルの巨体が、ハンモックの中でオーツ麦の束のように盛り上がっています。ムースがそのそばで大きないびきを掻いていました。

 

 「イブだよ、、、」

 「あー、、、」

 「きみらを見捨てたりしないよ。ここのところ、きみらをじっと観察してたんだ。なんとか助け出せないかとね、、、」

 「いいやつだ、、、」

 「スクラドゥは下に寝にいった。船長といやなネコ以外は、だれもデッキにはいない。ワインをしこたま飲んだあとは、どっちもぐっすり眠ってる、、、」

 「よかった、、、」

 「いまがチャンスだ。まだ2、3時間は明るい。オレが格子をやっつけてるあいだ、きみはちゃんと見張ってて、、、」

 

 モーリスの心臓が蝶の羽ようにバサバサと鳴りました。アルトーは、つやつやした頭を羽の中にピタリと収めて、木箱の反対側でじっとしていました。モーリスは最後の瞬間まで、アルトーを起こさないことにしました。イブが鋭い歯で木の格子をかじる音が、眠気を誘いました。

 

 カリカリカリ、、、チューチュー、、、、チューチュー、、、カリカリ

 

 カリカリカリ、、、チューチュー、、、、チューチュー、、、カリカリ

 

 カリカリカリ、、、チューチュー、、、、チューチュー、、、カリカリ

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 眠気を誘うリズムに、モーリスはこっくりしそうになりました。作曲ノートを探してポケットを探りましたが、見つかりません。まったく! とモーリス。この先のモーリスの労作の中で、ここで得たアイディアが日の目をみる日がきっと来るでしょう。

 

 アルトーが折りたたんだ羽の下から、顔をのぞかせました。「おやおや、、、放蕩息子が帰ってきたな」

 それに応えるように、イブが固い尻尾を揺らせながら、鋭い歯で格子をかじりつづけました。

 モーリスはこれがうまくいくのかどうか、よくわかりませんでした。

 ムースと船長は、ほんの1、2メートル向こうで、いびきの二重唱を奏でています。青白い月がドックにつながれた他の荷船を照らしていました。モーリスは自分たちがどこにいるのか、わかりませんでした。この3日間、船はビスケー湾近くのナントという町に向かって、ロワール川を下ってきました。ルフェーブルは泥酔しているようですが、ムースはいつも油断がありません。ひとたび両者が目を覚ましたら、どうなることか。

 

 イブのかじっていた格子が木箱の中に落ちて、あやうくモーリスの頭を打つところでした。その瞬間、ムースがうめき声をあげて目を覚ましました。最初にムースが感じたのは、ワインの飲みすぎからくる不快な頭痛でした。次にきたのは何か悪いことが起きていて、それをなんとかしなければいけないということ。ムースは飛び上がると、爪でルフェーブルのむき出しの腕を突きました。船長はうめき声をあげ、ブツブツ言い、痛みに顔をしかめました。「船長、船長!」 ムースが警告を発しました。

 

 アルトーはすでに檻から出て、デッキの上にあるハッチをフラフラと歩いていました。モーリスは格子のすき間から身をかがめて外に出ると、ハッチの上を急いで走りました。でもどっちに行ったものか。檻から出て自由になりましたが、この状態では意味がありません。モーリスはまどろんでいる船長の大きなからだの向こうから、フサフサした毛のムースの影が現れるのを見て、ゾッとしました。船長はモグモグと何か口にしながら、いま正に、起きようとしているところでした。「逃げて、逃げて!」とイブがささやき、クルクルと円を描いて駆け回りました。モーリスは下からのドシンという大きな音を聞きました。スクラドゥに違いありません。目を覚まして応援にやって来ようとしているのです。モーリスはハッチの上を、飲みすぎたワインのせいでフラつきながら、歩いていきました。「飛び込むんだ!」 イブが叫びました。その手は反対側の手すりの向こうの波打つ水面を指していました。「だけど、だけど!」 モーリスは抵抗しました。

 

 ルフェーブルはすっかり目を覚まし、立ち上がっています。そしてハッチの方に向かって、クマのようによろめきながら、むっちりした手でモーリスをつかもうとやって来ました。スクラドゥが口ひげの海賊のようにデッキに姿を現しました。短剣ではなく、捕虫網を振りかざしています。モーリスの心臓が凍りつきました。まさにそのとき、イブが後ろ足をバタバタさせて、モーリスに突っ込み、ハッチの向こうの右舷の手すりに打ちつけました。イブはモーリスに何度も何度もぶつかってきて、手すりを越えさせようとしました。「だけどわたしは泳げないんだよ」 モーリスはフルパワーのイブに抗議しました。イブはない肩をすくめ、バイバイとモーリスを送り出しました。

 

 この半狂乱の騒ぎの中、最後の瞬間はスローモーションのようでした。モーリスは背中から転がり落ちると、宙に投げ出されました。川の水にバシャンと音をたてて落ちる前、最後に目にしたのは、アルトーが羽をパタパタさせて舞い上がるところでした。とその瞬間、ムースが舵の正面に伸びるマストを猛スピードで登っていきました。勇敢なアルトーが荷船から飛びたった瞬間に、空にそびえるマストのてっぺんで後ろ足を巨体の下に折って身を構えたムースが、アルトーに突進したので、羽や毛が空中で盛大に舞いました。

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