DISPOSABLE PEOPLE

​ディスポ人間

第41章

わたしは真っ昼間、きみを殺すだろう。わたしには恐れるものも、恐れる人もいないからだ。わたしは邪悪を生き、呼吸している。わたしは罪の源、混ざりけなしの純な罪。武器は重いが、良心は軽い。わたしの名前は軍団だ、一人じゃないからだ。朝食に罪なき人の血を飲み、その心を食べる。死の影の谷を歩いていくわたしを見よ、わたしは死そのものだ。わたしは自分が手をかけた者たちの墓の上で眠る。神を知る必要はない、わたしは自分の父をすでに殺している。ゆえに神はもういらない。わたしの名前はアル・カポネ。わたしはドクター・ドゥームだ。

 

 セミコロン、これは1990年代初めに歌われはじめた曲から引いた歌詞だ。その頃までにぼくは、音楽は、歯にひっつくキャンディのような甘いものではないと知っていた。当時、多くのことが変わり、下の世代のやつらは見映えだけでなく、ぼくらとはかなり違ってきていた。やつらの目にある飢えは、食べものに対してだけじゃなかった。

 ダピーをつくることを話している者たちがいたし、酷い者になると5個や6個つくったことで知られていた。

 ぼくの子ども時代には、ダピーは自分でつくれるものではなく、それはただそこに存在するものだった。それに、前にも書いたように、やつらはほんとにいた。本当にいる、ということの意味を説明させてほしい。

 これはカルバートについての話だ。それが起きたとき、ぼくはその場にいたから、よく知っている。それはある夏のことで、それまでの夏と変わらない夏だったけれど、ぼくはまだ幼く、9歳か10歳くらいだった。当時は、子どもは夏休みなると親戚の家で過ごす習慣があり(たいてい祖父母の家)、すごく田舎に行くこともあった。ぼくと兄さんは、たいてい(一方の)ばあちゃんの家で過ごしに出かけた。ばあちゃんは小さなブタを3匹飼っていて、これから富を生みそうなブタもいた。妊娠中のブタは「子ブタ持ち」と呼ばれるとぼくは学んだ。いつの時代も、教育とはすごいもんだ!

 問題のその日、そこにいたのはカルバートとぼくだった。二人だけで遊んでいた、他にはいなかった。午後の2時くらいだった。牛やヤギは昼ごはんをたべ、日射を避けて、のんびり横になっていた。カルバートとぼくはマンゴーを探したり、鳥を撃ったり、よその家の牛やヤギを追いかけたり、木に登ったり、木の実をとったり(場合によってはスズメバチに刺されたり)するために、草むらに行こうと決めた。

 必要なものはすべて持っていた。前ポケットには、まん丸の小さな小石、ぱちんこのためのビー玉、いつもやろうしてまだ試してないある実験のための銅貨2、3枚が詰め込まれていた。これから冒険に行くぞ、という子どもらしい意気揚々さも携えていた。後ろポケットにはゴムぱちんこ、じいちゃんがくれたナイフ(尖ってはいたけれど、雨の中に放っておかれてサビていた)を入れ、それを使うことになるだろうか、と不安になったりした。棒切れを手に、知る道知らない道、草むらをかきわけて歩いた。食べものは持っていなかった。欲しいものは薮の中にあって、ぼくらを待っていた。

 ばあちゃんの家の裏のいつもの道から出発し、有刺鉄線を超え(どっちも2回はどこか切った)、カシューの木のところを過ぎた(よその家のものだったけれど、2回はその実をいただいたことがある)。牛が草をはんでいる草原を横切り、大きなマンゴーの木のところを通り過ぎ(木のうしろで、夏のあいだ、女の子たちと楽しい時を過ごした場所)、yの形をした(実が食べられない役立たずの)桜の木の枝からぶら下がるハチの巣のところを通っていった。それからローマ遺跡の入り口にある大理石の柱みたいな、2本のジューンプラムの木の間を歩いていった。ぼくらがそれを見たのはそこだった。まさにそこ、ぼくらの左手にあるジューンプラムの木の幹の上。これは前兆だ。悪いことが起きる前触れだった。

 それはトカゲだったけど、ただのトカゲじゃない。あまりに大きいので、ぼくらは幹から出てきた新しい枝だと思ったくらいだ。色は草色で、背中をピンと伸ばした、警備を怠らない番兵だった。キリストの墓を守るローマ兵のように(キリスト教の存在を決定づけるものが確かにそこあると証明しているみたいな)見映えだった。トカゲは聖なる務めを実行するようにそこにいた。揺るぎない存在感で。

 何かが、あるいは誰かが、そのトカゲの尻尾の大部分を切り落としていた。そのような状況下では、人が通ろうとしたとき、トカゲはすぐさま、切断されたときの痛みや生々しい記憶を思い出しそうなものだが、そうではなかった。ぼくらは石を投げた。トカゲは動かなかった。ぼくらは棒切れを投げた。トカゲは動かなかった。ぼくらはぱちんこで撃った。一発あたった。トカゲは動かなかった。するとぼくらの心に恐怖が湧いてきた。同時に、子どもじみた弱気と自信のなさが生まれ震えがきた。

 それは災いの印だった。でも、ずっと後になるまで、そのトカゲの意味はわからなかった。 

 木の向こう側に行けば野蛮なことが起きるかもしれないので、ぼくらは桜の木の方に後ずさりし、別の道をとおって草むらを歩いていった。少し時間がたった。

 ぼくらはずっと黙ったまま歩いた。どちらも起きたことを口にしなかった。恥のためではなかった。不安と疑いからだった。二人とも、ぼくらが見たトカゲは普通の骨と肉からなるトカゲだったのか疑っていた。ついに口をきいたのは、ぼくらの好きなマンゴーの木の下でだった。そしていつものやりとりが始まった。「おまえが登っていって、おれに投げるか、おれが登っておまえに投げるか」 ときに二人とも登ることがあり、家にマンゴーをもちかえるつもりがないときは、木に登ってそこで食べた。ぼくはこう言った。「二人で登ろう」 カルバートはぼくより少し年上で、少し頑丈だった。それでいつもはカルバートがシャツにマンゴーを満たし、肩からそれを背負って運んだ。二人で登ろうと決めたとき、帰り道はカルバートの背中には何もないことが決定づけられた。ずっと後になってから、コトがどのような終末を迎えるかわかることがある。

 ぼくらは木に登って、マンゴーをとり、それを食べた。たくさん食べた。家にもって帰って皆に分けるときよりも、ずっとたくさん食べた。もって帰ったマンゴーを兄さんやいとこたち、友だち連中が王様のようにご馳走として楽しみ、お腹いっぱいになるまで食べ、妊婦のように膨らんだお腹をさするのを見ることは、ぼくの楽しみの一つだった。お腹いっぱい。満足。幸せ。しかしあの日、カルバートとぼくがしこたまマンゴーを食べたとき、いつもとは違う災いが降りてきた。

 ぼくらはゆっくりと木から降りて、木の陰にすわり、特に話すこともなかった。お腹いっぱいで、歩く気が起きなかった。疲れていたし、強い日差しでぼっーとしていたから、横になった。暑さと、食べ過ぎと、草色のトカゲと出会った緊張のせいだったかもしない。いずれにしても、ぼくらは眠り落ちた。そして何かがそこに降りてきた。

 先に目を覚ましたのはぼくだった。もう遅い時間だった。太陽はこっそり退散しようと消えかかっていたが、ぼくは最後の光をつかまえた。太陽はぼくがその姿を捉えたのを知って、ニヤリとした。ぼくはカルバートをつねった。これが人を起こすとき一番効果があるから。カルバートはすぐに目を覚まし、声をあげ、ぼくの顔にげんこつをつきつけた。ぼくはそれを避けた。いつもやってることだから、予期できるのだ。カルバートも同じことをする。

 もう鳥を撃つには遅い時間だった。何を撃ち落とすかわからないから、夕暮れや夜明け前に鳥を撃ってはいけない、ということをぼくらの先祖は経験で学んでいた。ぼくらは家路につくことを決めたが、ジューンプラムの木のところに、まだあのトカゲがいることを考えて、違う道から行くことにした。あの生きものが、墓は空っぽで救世主はもういないと気づけば、ぼくらはあの道を通って帰るかもしれない。

 風がさわさわと吹く暑い夏の日で、枯れ葉や落ちた枝がカサコソ音をたてていた。ぼくらは帰り道を急いだ。ブラックハートマンやガンマン(銃を持ったチンピラ)が恐かったからではなく、暗くなってきたから。昼はぼくらが働いたり、遊んだりする時間。夜は闇が働いたり、遊んだりする時間。ジャマイカの奥地では、闇は生きて息をするもの。地獄の穴で邪悪なものが生まれる。闇は人の耳元でささやき、からかうように皮膚にふれてくる。ネコがネズミをむさぼる前にもて遊ぶように。闇に遊びを仕掛けられる前に、ぼくらは家に戻らねばならなかった。 

 家に帰る途中でそれは起きた。ぼくらは墓を通った。年長の子どもの墓だと言うもの、赤ん坊の墓だと言うものがいた。親たちは、死んだ子どもを自分の敷地や草地のどこかの木の下に埋めた方が、正式な葬式をして墓地を買うより安くて便利だと気づいた。この墓は草地の木の下にあって、木の根っこのせいで、時がたつうちに、墓石のあちこちにひびが入っていた。赤ん坊か子どもが埋められた場所は、地面が不安定で、墓は4、50cmくらい沈下していた。ぼくら小さな冒険家はちゃんと観察していた。墓には以前にも来たことがあった。実際、ぼくらが銅貨2枚いつもポケットに入れているのは、この墓のためだった。ぼくらのどちらもが、いまだ試すだけの勇気がない場所がここだった。

 その日、実験することを決めたのは、トカゲに向かっていく勇気がなかったことを、二人とも恥かしく感じていたからかもしれない。墓の前を通りすぎるとき、こんな質問がはじまった。

 「ステファン(ケニーのミドルネーム)、墓で銅貨を投げるって、皆が言ってることを信じてるか?」

 「いや、みんな脅そうとしてるだけさ」 こう言ったのは、暗くなる前に家に着こうと急いでいたからであり、またトカゲのことを早く忘れたいと思っていたから。自分がまた怯えていると見られるのは、絶対いやだった。怯える者がいるとするなら、それはカルバートの方だ。あとで、いかにカルバートがあのトカゲを恐がっていたか、ちゃかすことができる。

 「おれらやってみるべきかな?」 カルバートがぼくの陣地に直球を入れてきた。空の星、闇、ぼくの自我が一直線に並んで待ち構えているときに、それは問われるべきではない質問だった。

 「やるべきだろ」とぼく。

 ぼくが太陽の方をパッと見ると、それ見たことかとあざ笑うように手を振ってきた。暗くなってきてはいたが、それが確かだと言う立場にぼくはなかった。<闇が目を覚まし、旅立ちのために何者かが地獄の門を開け放つ。闇はひどく腹をすかせていた>

 逃れる手はないかと、「明日もっと時間があるときに、やる方がいいと思わないか?」とカルバートが思ってはいないかと、その目を探った。でもカルバートはもう墓の前に立って、下を見おろしていた。手には二つ銅貨をもっていた。カルバートも、こんな子どもじみた恐怖から、早く脱したいと思っていたのだろう。カルバートは家に帰って、年上の男子たちに、ちょっとした勇気を見せたことを自慢したいのだ。闇が恐くて逃げ帰った、トカゲから逃げてきた、木の下で寝てしまった、などと告白する代わりに。

 ぼくも自分の銅貨を取り出した。儀式のやり方は知っていた。それは簡単なものだったし、夜のダピー話の中で何度も耳にしてきたことだった。4つの銅貨を一つずつ墓に投げ入れ、死者の名前を5回唱える。ぼくらはこの墓の主がミルドレッドだと知っていた。噂で聞いてその名を知っていたわけではなく、草むらのことに詳しい年上のいとこから教わった、信ぴょう性のあるものだった。そのいとこは墓とその名前を知っていたけれど、ミルドレッドが何に殺されたのかは知らなかった。それについては誰も知らなかった。ミルドレッドは(生きてる間も死んでからも)医者のところに連れていかれなかったからだ。知られているのは、死ぬ前にたくさん吐き戻したことだった。そして吐いたものは、ミルドレッドが飲まされた調合薬よりずっと濃くて奇妙な色合いだったという。そして2日の間に、ミルドレッドは死んだ。そういうこと。それでお終い。

 カルバートが最初の銅貨を投げた。

 何も起こらなかった。

 それでぼくが二つ目を投げた。

 何も起こらなかった。

 カルバートが三つ目を投げた。

 ぼくが四つ目を投げた。

 カルバートが「ミルドレッド」と言った。1回目。言いやがった! このクソッタレが言うなんて信じられない! やつはこっちの陣地にボールを蹴り込まず、ぼくのところまでボールを持ってきて、足元に置いた。そして下がってぼくが蹴るのを待った。

 ぼくが言った。「ミルドレッド」 これで2回。ぼくが言ったのは、5回目に行き着く前にやめる道があると思ったから。それに5回目を言うのは、順番からいってやつの方だ。そうぼくは計算した。

 カルバートが言った、「ミルドレッド」 これで3回。

 ぼくが言った、「ミルドレッド」 これで4回。今度はゆっくりと言った。そしてカルバートの方を見て、その目を捉えた。更なる言葉を発するかどうかの暗示があると思った。ところが突然、カルバートの口から出てくる言葉を止めるかのように、冷たい風がひと吹き起きた。それでカルバートはとどまった。不安が現実になった。2本の足が逃げる準備をした。ぼくらがやったのはそれだった。ぼくらはひと吹きの風から逃げるように走った。口から心臓が飛び出すまで、走りつづけた。そして息をするため、1本の木のところで止まった。ぼくはカルバートの方を見てこう言った。「あれ、あの子だったのか?」 すると役立たずのカルバートがこう訊いてきた。「あの子って、ミルドレッド?」 これで5回目だ! すぐにパッと灯りがついたのがわかった。カルバートも自分が何をしたかわかったようだ。不安が恐れに変わった。本物だ、まちがいない。そして闇の中で、誰かが追ってくるような落ち葉を踏む音がした。ギャーッ。4本の足と2組の羽が舞い上がった。

 もしジャマイカの田舎で育ったなら、誰もが知っていることが一つある。それは薮の中を走っているときは、思うように走れないことがあるということ。深い茂みで蔓に絡みつかれたのはカルバートだった。カルバートは11歳の子どもの声とはとても信じられない、ものすごい馬鹿でかい声で絶叫した。カルバートは気も狂わんばかりにもがいたので、ますます蔓に絡みつかれた。背中に何かが飛び乗ったと感じたカルバートは、魂を切り裂くような5次元級の絶叫を発した。こいつの背はマンゴーなしで空いていた。カルバートは叫びに叫んだ。「ステファン、ステファン!!! やつが背中にいる!!! たすけてくれ、たすけてくれ!!!」 うなじのところを咬みつかれたと思ったカルバートは、今度は7次元の絶叫を発した。「ベイビー・ダピーだ!! やつが背中にのってる!! 血をすってる!! あー神様、ステファンたすけて!!! たすけてったら!!!」 こう叫んでるとき、カルバートは恐怖で麻痺しているように見えた。

 ぼくはそばに行って助けようとした。しかし人生において学ぶべきことは、助けを求めている人を助けようとしても、助っ人自身もパニック状態にあれば、ことは好転しない。というわけで二人そろって蔦に絡みつかれ、そろって恐怖の声をあげ、その後やっとのことでそこを逃れて、飛ぶようにして家に帰った。その途上、カルバートはまだ叫びつづけていた。「背中にやつがのってる!! 背中にやつがのってる!! 血をすってる!!! ステファン、たすけてくれ!!!」 そう叫びながら、泣いて泣いて、泣きながら走っていた。

 そのときもちろん、ぼくは立ち止まって背中を見る間などなかった。ぼくは走りつづけた。ぼくが走りつづけたので、カルバートも走りつづけた。家に着くまでぼくらは走りつづけた。そしてばあちゃんの腕の中に、ぼくは飛び込んだ。ばあちゃんはカルバートのばあちゃんではないが、他に大人はいなかったから、カルバートもばあちゃんの腕に飛び込んだ。

 数分後に、カルバートのママがやって来た。パパは家にいたけど、この出来事はパパがやって来るほどのことではなかった。皆がカルバートのからだを調べた。皆は背中には何もいないし大丈夫、とカルバートに言った。小さな切り傷は、木の枝か棘でこすったもので、何かが、誰かが咬みついた痕ではないと言った。カルバートの知る「ダピーを墓から連れ帰る話」は、本当のことではなく、あれはただの「ダピー話」だ、と皆は言った。カルバートに大丈夫、問題ない、と皆して言った。

 でもカルバートは大丈夫じゃなかった。

 カルバートは誰の言うことも信じなかった。あいつが背中にいるのはわかってる、とカルバートは言った。今もその重さを感じてる、と言った。それはベイビー・ダピーに間違いなく、小さな手が自分の首をつかみ、小さな足がお腹のところに巻きついている、と言った。ダピーが今も咬みついていて、血をすってるとわかる、と言った。ぼくのことを信じてくれ、と皆に言った。

 誰も信じようとはしなかった。

 ぼくは信じた。

 夏が過ぎていき、カルバートは痩せはじめ、どんどん痩せていった。食べることもかなわず、始終皆に、今も背中にダピーがいて血をすってるのを信じてくれ、と言っていた。

 皆が言うには、ぼくと草むら探検に行った日には、カルバートは40キロ近くあったそうだ。あの日食べたマンゴーを足せば、草むらから出てきたときは、41キロを超えていたとぼくは思う。2週間後に最初の医者に連れていったときは、34キロに減っていたと皆は言った。その医者はどこも悪いところはないと言って、ダピーのことを話すカルバートを一笑に付して追い返した。オベアマンのところに連れていかれたとき、カルバートは28キロ近くになっていた。700ジャマイカドルを払って、6週間の間に4回、そのオベアマンのところに連れていく必要があると言う者がいた。当時それは大金だった。しかしオベアマンがこのダピーは見たことのない種類のダピーで、「特別な能力」がないと扱えないものだと言ったので、人々は信じた。皆の見たところによれば、何ヶ月か前に、同じ症状に陥ったちびのティムを治せなかったオベアより、ずっと有能で「いいオベアマン」だった。

 ぼくはと言えば、最初の訪問の最初の1分で、カルバートはオベアマンに癒されたのだと思った。「わたしにも見える、おまえの背中には何かいる」と、これまで誰も言わなかったことを言ったからだ。カルバートが求めていたのは、自分を信じてくれる者の存在だった。今では皆もカルバートを信じている。オベアマンが自分にもダピーが見える、と言ったからだ。これはオベアマンが誰に対しても最初に言う言葉でしかなく、オベアはあらゆる病気の元はダピーだと思っていた。

 カルバートは苦難を切り抜けた。

 ぼくがこの出来事を話したのは、マイラブ、ぼくらは邪悪なものやオベアマンの魔力を真に、心から信じていることを説明するためだ。ぼくを愛してるときみが言った最初の日に、小さいときからずっと肌身離さず持っているお守りをきみにあげたのは、そのためなんだ。