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  世界消息:そのときわたしは

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フォトルポルタージュ Animals Asiaの活動紹介 瀕死の子グマ救出劇を追って

テキスト:葉っぱの坑夫

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危機に瀕した野生の子グマを緊急救助する

2016年8月26日夕方

ここは中国西南部に位置する四川省成都(チェンドウ)。Animals Asiaの成都救助センターに、森林官庁から電話が入った。彭州市(パンジョー)の山の中で子グマが罠にかかり、瀕死の状態だという。密猟者による罠と思われた。救助センターのビビアンは すぐにチームを編成し、2、3時間のうちに装備を積んだトラックが、獣医を含めた数人のメンバーを乗せて彭州市の現場に向かった。

 

中国では漢方薬につかう熊の胆のために、野生のクマが密猟の対象になり捕らえられる事件が多く起きている。捕らえられたクマは売り買いの対象となったり、クマ農場で胆汁(熊の胆)を採取するため飼育されている。Animals Asiaはクマ農場の廃止を訴え、飼育されているクマを救助、保護する活動をしている。これまでに600頭近いクマを救助し、傷ついたからだのケアをし、仲間と残りの人生を安全に快適に送れるよう、成都のサンクチュアリで保護している。

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現地まで車で約2時間。途中、空を見ると美しい虹がかかっていた。美しい山並みの向こうに、なんとも鮮やかで見事な虹。ディレクターのニックがこの虹の向こうに子グマがいる、と言った。瀕死の子グマは、山道を歩いてた年配の女性により発見され、森林官庁に連絡が入った。ツキノワグマの子どもは罠にかかって動けない状態だったという。怪我をしているようで、罠にはまった子グマの様子を見てからだが震えた、と女性は訴えた。

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現場近くにトラックを止めると、そこには森林官庁の役人たちが待っていた。すぐそばに罠があって、そこで子グマは囚われていると役人の一人が言った。Animals Asiaの創設者ジル・ロビンソン(写真右のブーツの女性)は、子グマのところまで歩いていく間、これから目にするものを想像して、口から心臓が飛び出しそうだったと語る。

 

2、3m先の草むらに子グマはいた。近づくと恐怖と怒りの鳴き声があがった。子グマは痛みと恐怖で苦痛の最中にいた。ガチャガチャという音は、子グマが罠を噛み切ろうとしている音のようだった。腐った肉の臭いが漂い、子グマの頭の上をハエがブンブン舞っていた。子グマは1年子で1歳から1歳半くらい。官庁の役人が35kgと見積もったが、実際あとで計ったら31kgだった。役人たちも子グマの状態を見てショックを受けていた。

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獣医のシェリダンと動物看護師のウェンディが、静かに麻酔矢の準備をはじめる。残りの者たちはこれ以上子グマを刺激しないよう、後ろに下がって見守った。

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麻酔矢の準備する獣医のシェリダン

ウェンディが子グマの注意をそらしている間に、シェリダンがそっと後ろにまわって素早く矢を吹いた。最初の一矢で成功し、子グマは数分のうちに眠り込んだ。そこにいた者みんながホッと一息ついた瞬間。子グマはいま、苦痛から逃れ眠っている。

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子グマは瘦せおとろえ、傷を負った足は腐りかけ、顔にはうじがわき鼻や口に入り込もうとしていた。その様子を見て、皆ショックを受け、涙を浮かべる者もいた。救助隊のロッキーが罠を切り取り、証拠物件として森林官庁の役人に手渡した。罠は子グマの右前脚に食い込んでおり、感染と血が通わなかったことでその部分は腐って壊死し、2倍くらいに腫れ上がっていた。子グマはなんとか罠を外そうと、自分の足にかみつき、指2本を食いちぎっていた。そのせいで歯も痛めてしまったことがのちにわかった。

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子クマから切り離した罠のワイヤー

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救助チームは眠っている子グマをトラックに乗せ、Animals Asiaの病院に向かった。夜9時、病院に到着。救助隊は子グマをそっと手術台に寝かせた。傷の部位は関節から10cmほどのところで、ひどく損傷しており、感染もあった。チーム全員が暗い気持ちになったが、子グマを助けるには前脚の壊死の部分を切断するしかなかった。子グマの命を救うため、獣医のシェリダンが手術に取り掛かった。

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手術は真夜中までかかった。子グマをケージの中の藁の上に休ませ、シェリダンが抗生物質と鎮痛剤を施した。子グマはここから数時間、救助隊の監視のもとに置かれる。

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救助に行くときに見た山にかかる美しい虹から、子グマはレインボーと名づけられた。ディレクターのニックがこの虹の向こうに子グマはいる、と言ったあの虹だ。

 

翌朝レインボーは目を覚まし、少し元気を回復したようだった。昨日までの恐怖のせいで、子グマが攻撃的になる可能性はあった。シェリダンとニック、エディが子グマに餌を与え、そのあと苦労した挙句、なんとかからだをきれいにしてやった。獣医のシェリダン、看護師のウェンディ、インターンのマックスによって前脚の切断手術を終えたあと、中国国内やアメリカの生物学者、専門家から、メールや電話、スカイプでたくさんのアドバイスがあった。

 

日を追うごとに、レインボーは、人間が自分を痛めつけることはないと理解していった。普通はボールに入れた餌をそっとケージに置くのだが、フードラップが子グマには大きすぎて頭をねじ込むといけないので、餌を落とすか、檻の間から差し出すことになった。レインボーは上から落とされる餌を上手に受けて、食べるようになった。すぐにこの方法をマスターした。餌をやるニックは、レインボーが上から落ちてくるものは美味しいものと理解しているのを見て、幸せな気持ちになった。

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レインボーは一日の多くの時間を一人きりの状態で過ごした。人との交流は餌をやるときなど、最低限に保たれた。一日何回か自然の食べものが量を変えて与えられ、床は葉っぱなど自然に近い状態に整えられた。やがて野生に帰るレインボーが、人に慣れず、食べものにも満足しないことは非常に重要だった。レインボーは誰もそばにいないとき、安心して餌を食べていた。

 

いまごろ母グマは山でどうしているだろうか。子どもが罠に捕らえられていたときは、恐怖と悲しみの日々だったのではないか。夜になると、近くまで様子を見に行っていたかもしれない。

 

レインボーの解放について救助チームは、たくさんの専門家たちからのアドバイスを受けていた。北米とアジアで30年以上リサーチ経験のあるクマを専門とする生物学者デイブ・ガーシェリス、クマを野生に戻すプログラムの顧問を世界中でしてきた生物学者ジョン・ビーチャム、中国のツキノワグマの個体数調査で名の知られる生物学者リウ・ファンなどである。彼らの全員がレインボーを山に戻すことを勧めた。健康状態は良好で、傷ついた歯はあるものの永久歯があり、右前脚の膝から下半分を失ったいまも、自信にあふれ、保護下にいる間も野生のクマとしての獰猛さをときに表していた。世界中のあちこちで似たような状況にいるクマたちが生き延びているように、レインボーも生来の強靭さで生き延びていけるに違いない。

Photographs courtesy of Animals Asia

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