連載を終えて



ノート

大桑千花

 以前青山で大黒さんとこの物語のベースとなる体験について少し話したことがあった。そのきっかけがなんだったのかよく思い出せないけれど。それから数年が過ぎて、ようやく葉っぱの坑夫で今回の形での連載ということになったが、淡々と語られたこの物語、記憶の彼方1996年のことをどれだけ客観的に見直せるかということに、ココロのオーソージならぬアタマのオーソージだった。
 あれから流れた14年という時間の中で都合良く振り分けられた残像を「今のわたし」ではなくあの26歳の「晶」という精神的にまだ幼さが残る女の子の体験として再現すること、そして当時の晶にはわからなかった多くのことをそのまま残すことに、書き手としてのジレンマというか、敢えて「書かない」ということへの迷いがいつもあったが、それはそれでよいと思うことにした。
 物語のメインとなる晶の理想と現実。現代日本とは少し異次元で、まるで蓋をしたお椀の中でひっそりと生き続けているような京都という街のその片隅で、独自の価値観で生きようとしていた晶が人との関係で信じていたのは、自分とそしてJJ、ロランがしたように、自分はさておき相手を思いやることからの行動、それが彼女が信じる友情や愛情、そんなものだった。それゆえにスティーヴンにも同じようなことを求めるのだが、でも若さと文化のちがいからそれをうまく伝える言葉を持たない。そんな自分とはかなり異なる晶にスティーヴンもどこか惹かれながらも大きなギャップを感じ、やがて二人の関係は破綻してしまう。晶はそのカルチャーギャップともそれを超えたところで深く失望し、しかし本当はスティーヴンが悪いわけでもなんでもなく、ただそこに自分の求めているものがなかっただけなんだと後にアフリカに近い街で気がつく。欧米と比べ「相手への思いやり」というコンセプトが深く根付いた文化を持つ日本と、それとはまったく異なる自分本位なバックグラウンドを持つスティーヴンには「自分が生き続けること」が最優先で、それ以外は二の次三の次、もしくは存在しない。しかしそれはある意味、生きていくことでは当然のことなのかもしれない。
 ハワイで、吉田山で、一人の友の生と死とに全力投球すること、「友だち」とはそういうものだと疑わなかった晶は、理想と現実の間で揺れながらその後、どこかにきっとあると信じる理想の世界を探して出発した。そして青山のカフェで大黒さんが「こういうことって実際にそうそうありうるのかな?」と、不思議そうに呟いたことに、また少し現実の世界を知ったように思った。

会話

大桑千花さん × 葉っぱの坑夫・大黒

大黒:病気になって死というものに直面した友だちを助けるために、その「死に方=生き方」を探すための旅にいっしょに出る、という話は驚きでした。人間と人間の関係性において何か違うものがあるのだろうか、と思ったんです。個人というものが寄って立つもの、核になるものの違いというか。スティーヴンは自分の家族にも病気のことは知らせてないですよね。日本人であれば、個人に重大なことが起きた場合、家族や実家との関係性が急浮上する気がします。何も知らされなかった親というのは、日本人ではイメージしにくい。それだけで大変な非難を受けそうです。親からも、まわりからも。そういう意味で、スティーヴンも晶を含めた友人たちも、非常に「個」として生きているのではないか、という印象を持ちました。

大桑:ああ、たしかにそうですね。親が子供のそんな一大事を知らなかったら大変なことになりますね。子への心配もですが、周りになんて言われるのよ!みたいな、本当はどうでもいいことなんですが、常にそういうものがついて回る。だから子供も言わなきゃいけないし、親も知らなきゃいけない。「こうしたい」ではなく「こうしなくちゃいけない」そんなことにとても振り回されますね(しかも今は日本でも癌のイメージが随分変わって来ましたが、当時はまだヒソヒソ影で耳打ちするような感じで、晶たちも周りからはそんなふうに扱われたこともありました)。
 日本に限らず多くの国の社会では良くも悪くもそういういろいろなルールがあって、なので「個」でいることが難しかったりします。まあ、ニューヨークみたいな大きな街は別としてですが。でもスティーヴン、JJ、ロランの3人は長く自分たちの国(=ルール)を離れ、京都という保守的でまったく別の日本社会で「外人さん」という、そこに完全には混ざり切れないアウトサイダー的な「個」という立場をとっている。そのため、すべて自分たちの責任で選択し生きている。自由とは、なんでも好き勝手することではなく責任が伴う生き方、そういうことなんですね。そして晶もそんなふうに生きたいと、そんな4人だから切り捨てるものはスッと捨てて、本当にしなくてはならないことにフォーカスし、パッと行動に移せたんですね、きっと。

大黒:なるほど。それぞれの社会が持っているルールが「個」であることを難しくする、日本に限らずということですね。そういう中で「外国人」として生きることが、個としての生き方を選ばせる、そうせざるを得なくする、ということでしょうか。なんか今の民族大移動の時代に照らして考えると、とても象徴的に思えます。そうやって人間は、家族や地域、民族や国などの、これまで人間(個)を形成する「根っこ」と考えられていたものから離れて生きようと、離れても生きていけることを身をもって証明しようとしているのでしょうか。大きな方向性としてですけど。
 それと7章の中で、JJとスティーヴンの会話で、外国人として日本に住むことを「嘘の生活」と言っていますね。こんなの本当じゃない、「アジアの島国の白人」だからガイジンガイジンともてはやされる、本国に帰ればただの人だ、と。こういうことってあんがいまだ、日本語のテキストの中で語られていないことかもしれません。在日外国人を掘り下げた作品ってまだ少ないですし。

大桑:これまで「外国人」としてわたしもいくつかの国に住んだ経験からもそうですし、90年代に京都で出会った欧米系外国人たちの体験談もですが、ちがう国の社会にとけ込むことはなかなか大変ですね。本国とは少しまたはまったく異なる習慣やルールに従うのかそうでないのか、なにを取り入れるのか入れないのか、外国人として「個」として生きるのか、ローカルにとけ込みその一部として受け入れてもらうのか、そのどちらでもないグレーゾーンなのか、など選択して行かなければなりません。いずれにしろ、さまざまなことに戸惑ったりぶつかったりまたはすんなり納得しながらそれらの情報を取得していくだけでも大変な労力と時間が費やされます。わたしもエルサレム(イスラエル国)からザグレブ(クロアチア共和国)に引っ越して二年になりますが、いまだにそれらと格闘中です。
 なので外国人が日本にやって来て、その社会に馴染もうとする、またはあくまでも仲間ではない他所の人=ガイジンとして住む、この両方は同じ位に大変なことなんだろうなあと(数年毎にわたしが日本に帰省する時ですら、かなりのカルチャーギャップに戸惑うくらいですから)。例えば、とけ込もうとしてがんばっていてる日本語が堪能な金髪で青い目の人がいて、その人があるお店にひょっこり入っていって「すみません、何々はありますか?」と日本語で尋ねたのに「うわ、ガイジンや、英語、英語!」年配の店主はもうパニックで、ちゃんとその人が日本語で話してるのに「ノー、イングリッシュ!ノー、イングリッシュ!」そう手で遮られるようにして拒絶されてしまいショックだったという実話がありました。そんなちょっとコントみたいな話しにしても、実はこれって、深いなあと。
 また別の話しだと、アルバイト先のまかないに出た魚の骨を、おかみさんが「ガイジンさんにはむずかしいだろう」と、その人の分だけ丁寧にむしっちゃった。それを見たおやじさんが「みんなと平等に扱え!ガイジンだからって特別扱いするな!」と怒っちゃって、もう本人はどうしようかと思ったとか、新幹線で寝た振りをして英語の寝言で車掌さんをうまくやり過ごし無賃乗車したとか。または美男醜男に関わらずとにかくどこに行っても女性が寄って来る。信じられないくらいあまりにもモテちゃうので、一緒に来日した金髪の奥さんがいつの間にか新しい日本人のお嫁さんに変わっていたなど、挙げていったら切りがないのですが、本国にいたらどれもほとんどあり得ない(またはしない)ことだと思うんですよ。なので、どんどん次第に勘違いして天狗になっちゃったり、もういやになったり、その両方が行ったり来たりしたり、変に日本文化の狂信者になったり。そんな中で自分を見失わないでいるということは大変なことなんだなあと。現在たくさんの外国人が日本に住んでいると思いますが、大黒さんがおっしゃるようになかなか彼らの率直な話しを聞く機会ってないのでしょうか。これ、よく考えると不思議ですね。これからの社会の変化と供に徐々に出て来るのでしょうか。

大黒:あ、なんか「ハワイアンレッスン」の表しているものの一面がパッと見えた気がしました。この話は4人の友だちが生きることを巡って旅するドキュメントであると同時に、土地と人の関係、つまりよその土地に行くと「外の目」からものを見ることになって、その目で見た世界の捉え方が、内も外もないべったりとした一面的な世界の見方に刺激や気づきを与える、そういう意味があったのかと。わたしがこの物語を読んでいて、何か共有できるもの感じ続けていられたのも、その「外の目」から視点、その存在だったのかもしれません。4人の内3人がよその土地からやって来た人で、残りの1人はこの物語をのちに外に出てから得た目の元で書いている。とても特徴的です。たとえば「島から島へと向かう空の上での長いたいくつな時間に」の島の一つが日本を表していたり、京都のことを「お椀」の街だとか。なんとなく日本語ではないセンスを感じました。たとえば英語でものを感じたり表現したりするときのような。日本語で長く日本に住んでいれば、日本が島であることはほとんど忘れています。「本州という島で育った」なんて言葉も出てきましたけど、「本州」なんて日本語の日常の世界で使わないし意識にもほとんどないと思うんです。本州に住んでます、なんて言わない。全体がそういう目と感性によって編まれているのは間違いないですね。そこはわたしにとってとても重要です。葉っぱの坑夫は常にそこに頭をつっこんでいるとも言えますし。
 日本にいる外国人の率直な話を聞く機会っていうのは、それなりにあるとは思います。ただ日本語によるテキスト(小説でもエッセイでも)として、在日外国人のことがどれだけ語られているか、になるとまだまだ少ないと思います。最近では楊逸さんが中国から日本にやって来た中国人の話を面白く書いていて、それを読むと鏡に映したような「日本人」の姿が見えます。「外の目」をもって日本の姿を書く人は、日本語で書くことのできる外国人か、多和田葉子さんのように日本の外に住む日本語の作家ですね。日本語で書かれていること、これが一つのポイントだと思います。

大桑:そうですね、今回はこれまでのいつもの世界もちょっと別の角度から見ることもできる、これまでの日本語のコンセプトではない日本語でそんなものを表せたらなあと。わたしが初めて日本の外に出たのが17歳で(しかも中国仏教史跡を訪ねる旅という女子高生らしからぬ旅)、それから20代半ばまでアジア、中東、欧米へと出たり入ったり、そしてここ10年以上日本の外で暮らしています。そうすると日本にいたらまず認識することのない、でも事実でもあることに気づかされることが度々あります。日本に興味がある人から北海道、本州、四国、九州の「どの島」に住んでいるのかと尋ねられ、「キヨト?本州の?」「そう、本州の京都」「ああ、the main, the big island、いちばん大きな島ですね!」と言われたり、世界地図上で日本がその中央にないことに大ショックを受けたり。そういうふうに同じ物をまったくちがった角度で見ることで見えて来る発見というか、広がり、破壊と再生、そんなものがわたしのここ20年の中で絶え間なく起こっているんですね(それは写真を撮るときも同じで、常にその「どうしたらいつものパターンや視点を崩せるか」が頭にあります)。なので、本当に「すべってころんでかかとがとれた」の多和田さんではないですが、いつか大黒さんにお話ししたことがありましたが、イスラエルでの初めの数年はヘブライ語と英語だけ、つまり脳が完全に他の言語の世界にシフトした状態だったので、日本語で考える=書くことができなくなった。日本語=日本文化の持つコンセプトやニュアンスと自分の世界(ヘブライ語と英語)がまったくマッチしなかった。それで日本語の読み書きをやり直して。そんな生活を続けてきたのでなおさら今わたしの書く日本語には他の言語や文化要素がいり混ざっているのでしょうね。言語と自己アイデンティティの破壊と再生です。
 そんな日本語がわからなくなっていた頃に葉っぱの坑夫と出会ったのですが、今ではあたり前のように普及している多言語のオンライン辞書や自動翻訳サービス。イスラエルでもそういうものを早くから作っていて、日本語と英語の二カ国語ウェブの文章をコンピュータに学ばせる過程で葉っぱの坑夫に辿り着いて、そこにおもしろい世界が広がっていて。それでポンッと葉っぱの坑夫宛に送ったのがJJたちとハワイにいた時のことを書いた詩だったんです。
注)「Anitya」Fragments/ことばの断片 #39

大黒:ところでわたしは住む場所、家に意識を持ち始めたころから、日本の住居における窓の存在がずっと気になってます。もう20年近く窓にカーテンやブラインドのない家に住んでいて、窓はすべて透明ガラス。つまり「外から丸見え」と日本人なら考える住まい方ですね。わたしにとっては、「窓の外を眺める」方が「窓の外からの視線を隠す」より大事なんです。欧州人の友人もこの点に関して「日本人は、家の中をカーテンで隠して隠して隠して、、、どうして?」と言いますね。日本では建築設計の段階から、窓をカーテンで閉め切ることを前提にしている気がします。でもこんなことは日本人の知り合いに言っても、ポカンとされるのが落ち。あるいは単なる個人の趣向の問題にされてしまうと思うんです。

大桑:あ、これ、かなり好きなトピックです。家って、そこに住む人、つまりその人(またはその国)の持つ文化をものすごく象徴的に表しているものの一つだと思うんですよ。たしかに、日本の家は外からの視線から隠しますね。私も子供のころよく夜になったら外から見えるからカーテンを閉めなさいと言われましたし、今でも帰省すると自然とそうしてしまいます。それに日本ではあまり他人を家にあげない。実家が今は金沢にありますが、近所付き合いが何十年の隣人さんでも玄関先で立ったまま話してて、なかなか茶の間にあがることはない。ましてやセールスの人が玄関先を越えることは稀、子供同士でも玄関で待ってる。そういうふうに家の中はあまり他人には解放されてない。これって他の国からすると実はおもしろい風習の一つになりえるんだなあと。
 それと正反対なのがイスラエル(アメリカのブルックリンのある地区でもそうでしたが)で、大抵の家は玄関を開けるともうバーンッと、すぐにその一家のリビング。初めの頃はとても戸惑いましたね。入っちゃっていいのかな、見ちゃっていいのかなと。しかも短パンにTシャツのその家のお父さんの横で隣のおばちゃんが毎晩のようにテレビ観ながらお茶飲んでたりする。そしてイスラエルにはカーテン文化がない。あれほど夏が長くて太陽光線がキツいのに。その代わりにガラガラッと上下に開け閉めする雨戸のようなものが窓の外についていて、午後はあまりにも眩しいからそれを下ろして閉める。でも決してそこに「外から隠す」という意図はないのでまた夜になって涼しくなったらバーンッと窓を全開にする。この両方にそれぞれのお国柄が出てるなあと。
 それと大黒さん、ちょっと話しがずれるかもしれませんが意外な発想ついでに、押し入れ。押し入れって、だいたい日本のどこの家にも今もありますよね。あれはそもそも布団のサイズにあわせてああいった大きなスペースがとってあるものだと思うのですが、あの否日本的、ガイジン的発想なおもしろい使い方ってご存知ですか?

大黒:そうですねぇ、、、あ、その前に、最近の新しい家には日本間(たたみの部屋)がない住宅も多くて、押し入れがない家けっこうありますよ。わたしの家もないです。全部クローゼットになってます。押し入れがあった時代には、わたしの家ではふすまを取り外して、書棚を入れて使ったり、高さがちょうどいい場合はデスクにしていた時もありました。あと上段を子供用のベッドとして使っていましたね。手製のフェンスと小さなはしごをつけて。押し入れのふすまを外すと、部屋がなんか開放的になりますよね。在日外国人の人もふすまをはずしていたんじゃないですか?

大桑:おっ、さすが大黒さんですね。かなり発想が自由です。そうなんです、ふすまを外して部屋の延長のスペースにしてそこにディスクトップを入れたりデスク代わりにしたり、テレビを置いたり。ほんのちょっとのことなのですが、そういう押し入れの使い方を初めて目の前でみた時はすごいおもしろいなあと感心してしまいました。そうですか、最近は和室のない家も増えて来ているんですね。おもしろいです。

大黒:あ、押し入れ利用法は自分で思いついたのではなくて、友だちがアパートのふすまを外して部屋の一部のようにして使っていたのを見たからなんです。狭い日本の家の中では押し入れって結構大きなスペースなんだと気づきました。押し入れとか床の間とかって、日本人にとっては定型のものだし精神的なものともつながっていますよね。昔だと悪いことをした子は暗い押し入れに入れられたとか、床の間はたぶん不用意に乗ってはいけない場所だったのでは? 外国から来た人にとっては単なるスペースだから、同じ間取りを見ても違う発想が生まれるんでしょうね。空間ひとつとっても受け取り方が違う。そういう感覚のずれっていうのは、やはりわたしたちがそれほどの自覚を持たないまま、あるフレームの中で生きて、そこからものをいつも見ていることの証明じゃないでしょうか。ある文化とか言語とかの枠の内側で自分は生きているという自覚、それがあるかないかで外の世界の見方は大きく変わってくると思っているんです。越境とかボーダーレスとか世界標準という言葉が普通に理解されていて、実際、産業やアート、スポーツなどの世界ではすでに実体をともなう言葉になっているんですけど、個々の人間で見ていくと、ものごとの理解のされ方にすごく幅があるんじゃないでしょうか。見える世界や情報は広がっているんだけれど、ものを見る尺度はあいかわらず小さな枠の内の基準に従っている人も多い。枠を超えた視点を持とうとすること、すなわちものごとを相対化して見ることにつながるわけですけど、それって何らかの好奇心か、自分が差別されている側にいることによる不利益か、何か理由がないと「枠の意識」につながらないってことだと思います。

大桑:そうですね、どこでも多かれ少なかれ良くも悪くもみんな枠の中で生きていますね。ある時期から日本のメディアで国際化だとかグローバル化だとかいった言葉が頻繁に登場しはじめて、そしていわゆる先進国と呼ばれる国々ではインターネットなどの目覚ましい普及やヨーロッパの新しいあり方としてのEUなどボーダーレスなイメージの社会へと移行して来ましたが、だからといって日常において物を見る尺度や価値観が画期的に変わったということもないし、ステレオタイプも相変わらずあちこちで存在している。押し入れの話に近い身近なことでは、ザグレブ中心街の昔からの住宅ではキッチンの床はタイル張りが一般的なのですが、その習慣とは別のところから来たわたしにはそこは木製のフローリングの床でもいいじゃないかという発想があっても、地元の人たちの多くは大抵それはおかしい、変だ、と怪訝な表情をします。でも外国人のわたしにはそれにとらわれる理由がない。それに従わないという選択もある。そんなふうに押し入れやキッチンのこれまでのコンセプトを崩してみることからでも、たくさんの枠を越えて新しい世界へ繋がる。これまでの習慣や伝統と異なる視点を見つけ受け入れようとすることは、それを守ることと同じように大切なのかなと。そのふたつの組み合わせから生まれる物がたくさんあると思っています。今回の「ハワイアンレッスン」では、文体を含めそういうことも言いたかったのかなと改めて思いました。

大黒:ああ、こうやって書いたのちに、それについての発見があるって面白いですね。書くことには様々な可能性があると思います。自分の枠や自分の国の枠の存在に気づいたりするのも、書く行為の中で、自問自答している中で起きたりもするし。日常の習慣、ある国の慣習や常識、あるいは伝統、そういうものにはそれぞれそれなりの理由があるとは思うんです。地域の資材や自然環境のような現実的なことからもっと精神的なことに至るまで。でも一度枠として定まったことって、そのあと状況が変わってもそのまま維持されて改めて考えられることがない、そしてそれが精神にも定着していく。合理的には理由のないことだったりもするんですよね。ザグレブの人々にとって、キッチンが木のフローリングだったら困ることって、現実問題としてはあるのかないのか。きれい好きだから木製の床だと油などの汚れがしみつきやすいからイヤだとか? そういうこともあるのかもしれないけれど、「キッチンに木の床なんて」という気持ちの問題がまずあるんでしょうね。多和田葉子さんがハンブルクからベルリンに引っ越したときに、入居したアパートの壁を塗り替えるようにとドイツ人の友人たちがうるさく急き立てる、という話を読みました。そうじゃないと「自分の住居」にならないから、と。多和田さん自身は、部屋は賃貸だし壁はそのままで問題ないのに、、、と。これには人と住居の関係だけじゃなくて、所有や財産に対しての思想の違いが含まれているのでしょうね。異文化間における日常の小さな感覚の違い、その中にある精神性の問題、そういったものが表面に出てきやすい時代になってきたと思います。人々が国や大陸を超えて行き来し、出自の言語や文化と違う場所に住むようになり、その数が爆発的に増えたこと、その人々の中からその体験を作品で表そうとする作家やアーティストが出てきたこと。いま一番おもしろい部分、広がりのある分野だと思います。最近、アフリカやアジア、中南米などの短編(short story)を探して読んでいるのですが、short storyというスタイルが、異文化間に起きる違和感やローカルが持っている問題を象徴的に表現するのにとても適していると思いました。書き手の著名度に関係なく、どれも面白く読めるんです。「ハワイアンレッスン」を終えた大桑さんへの提案として、つぎはshort storyで何かできるんじゃないかな、と。いかがですか?

大桑:short story!ぜひその形でなにか書いてみたいですね。小説調で「ハワインレッスン」を書くことに結びつかなかったように、そして今のわたしとザグレブのとても断片的なパズルのような関係にはそのスタイルが合うような気がします。というとなんのこっちゃ?と思われるでしょうが、わたし自身にとっても今のこの状況がいまひとつクリアではないので、次の10年が経過した頃にはその意味がわかるかもしれません。・・・そういえば、2002年頃年にエルサレムで書いたまま放っておいた10ページのshort story(英語)を今思い出し、さっそくそれを引っ張り出して来てみました。そこからまた新しい一歩をはじめてみたいと思います。