トピック: 7-3 燃える火
2月はじめの白い夜だった。
吉田神社へと火炉祭り。
赤いバンダナの上に毛糸の帽子のスティーヴンとあたし、
コートのポケットに手を突っ込み、
白い息で暗い夜道を下りて行った。
「寛解、remission!」
夏の初めにシカゴからお椀の街に戻ったスティーヴンが
吉田山の下の大きな病院でキモセラピーをはじめたとき、
「この状態でも生きてるって・・・?」
信じられない、そう首を傾げたO先生が、
その節分の祭りの数日前に「リミッション!」
ほとんど奇跡のその言葉を贈ってくれた。
つまり、
おなかでどっしりと動かなかったフットボールが
叩かれてみごと、ドロンパっ!
跡形もなく消えて癌細胞も暴れなくなった、ってこと。
といっても、完治、ではないけれど。
シアトルで聞いたシカゴのKクリニックの「機上で」は、
ほんの悪魔のささやきだった。
アメリカで医療保険のないスティーヴンから
がっぽりキャッシュで治療代を儲けようってことだったんだ。
だけどその担当医のセコンドオピニオンのおかげで知った、
キモセラピー30パーセントの成功チャンス!
next station is bound for.....
シアトルからあたしたちが戻った2日後。
こうしてまたスティーヴンに会えるのは夢?
京都駅から空港行きのエクスプレスに乗り込むと、
どこか映画の未来都市のようで、
でも障子紙みたいに薄い女性アンドロイドの声色で録音された
英語のアナウンスメントが非現実的に車内に流れた。
外の蒸し暑さとは裏腹に空港の中はひんやり涼しかった。
到着ロビーのゲート前で迎えの人たちに紛れて、
あたしはどこ?どこ?って、
キリンみたいに首を伸ばしてスティーヴンを探す。
どこか空港ってところはドラマチックすぎて、苦手だ。
自動ドアが開いて、
ゆっくりカートを押すスティーヴンが見えた。
「・・・steven!」
周りの視線を気にすることなく、
ぎゅっと離れないあたしたち。
また会えたね!
そして春にサヨナラした吉田山の古い家のドアを
再び開けて、火を、魂を、もういちどそこに注いだ。
それからのあたしの毎日は、
いちばん苦手なこの街の茹で上がった地獄の釜の中みたいな夏に、
湧き水や季節の京野菜、おいしいお豆腐で、
からだの中をきれいにするエネルギーの素を作った。
クックの島の壁なしの家と同じようにね。
そしてまだその頃この街ではとても珍しかった
担当の先生と患者が話し合いながら治療法を決めてゆく
インフォームドコンセントと、
抗癌剤をチューブで体内へ送る2泊3日だけ入院する
アメリカ式癌治療が始まった。
その時もスティーヴンは
あたしが作るものだけを食べた。
これにはさすがに先生も賛成しなかったんだけど、
だって、スティーヴンにとっては、
それが生きることに繋がっていたから。
それから祇園祭の宵山が過ぎて、
大、妙法、の火が山々に灯ると、
JJはこの島での一章を閉じた。
「なんでおまえが?!おれだろ、今辞めるのは!」
「よく知ってるだろ、僕がずっと考えてたって。
もうこの国にいる意味がないんだよ。君もいつもそう言ってたじゃないか」
「だからっておまえが・・・」
「いいんだよ、潮時だよ。
もう嘘の生活を続けようとは思わない。
こんなの、本当じゃないだろ?」
「おれだってバカじゃない。
そうだ、JJ、おまえの言うとおりだ。
ガイジンガイジン、ただそれだけでもてはやされて、
”アジアの島国の白人”だからいい思いができたんだよなあ?
わかってるんだよ、そんなの薄っぺらだって。
本国に帰ればおれたちはただの人、だよ。
だけどここが居心地がいいってのも本音だよ。
だからあと数年、あと数年だけだって、
それでその結果がこれだよ、JJ」
「だから僕は君のようにはなりたくはないんだ」
その言葉にスティーヴンはカッとJJを睨んで、
ロランが口を開いた。
「だからこそ、今こそ、
それを変えるいいチャンスなんじゃないか」
「いいチャンスだって?!
おい、ロラン、JJ、よく聞けよ、おれには明日がないんだぞ!
辞めたきゃ勝手にしろよ!」
「JJの人生はJJ本人がいちばんよくわかってるさ。
明日死ぬ、死なないなんて、まだどうかわからない。
わからない未来を悲観するなよ。
それよりも今どうするべきかを考えなくてどうする?」
ハワイへ行く前の日のそんな会話を思い出しながら、
がらんとしたJJの部屋には
日に焼けた畳に水屋のあとが残っていた。
ちょっと寺町辺りまでいつものように買い物に出かけたかのように
彼の匂いが満ちたその部屋で、
あたしはJJの顔がどうしても思い出せなかった。
明け方まで眠らずにパッキングしている疲れた背中、
好きだった音楽、
そんなことは思い出せたのに。
空っぽのその部屋の午後の光の中、
甘くてちょっとスパイシーなその匂いを
思いきり胸いっぱいに吸い込むと、
そっと、ちょっと、泣いた。
ハワイ、シアトル、キョウト、
凝縮された時間を共にした彼の新しいステップに。
ロランはといえば、
まるで何もなかったかのように吉田山で、
あたしたちの家のすぐそばで、また以前の生活に戻った。
ロランのハワイ行きをずっと怒ったままの美加子さんから
息子の龍太くんの返還はなかった、
ということを除いて。
そしてチューブの日々も何クール目かが過ぎて、
108つの鐘の音がお椀中をこだまして駆け巡った。
黒谷の、あのテントで食べる熱々の年越しそばがあたしは大好き。
また新しい明日が待ってる、そんな気分になれるから。
そしてゑべっさんが過ぎると吉田山に節分がやって来た。
燃える火。
お札やお守り、神札、
縁起物の熊手、ねずみの絵馬。
トーテムポールよりも高く高く積み上げられた
みんなの1996年。
火炉で赤い火となって燃えて、
ふるふる粉雪のように舞い上がる。
顔がじりじり熱くなる。
そーれっ、
パチパチッ、
勢いよく火の粉が上がる。
レシピ、ダイアリー、
スキャンされた体内の写真、
真如堂の鐘つき堂のあの日、
太平洋にぽっかり浮かんだあの島での日々、
約束の虹、
キャピタル・ヒルの家。
喧嘩したこと。
96年の、雪の春からの記憶。
赤い火の山ですべて、焼かれろ。
good bye ’96
good bye...!
Hello ’97
new beautiful days!
新しい春への、解放。
春先の丘のように柔らかな毛が伸び始めたスティーヴンの細い指が、
火で暖められたあたしの指に触れる。
ぎゅっと繋いだふたりの手が熱く燃えている。
もう赤いバンダナもいらなくなるね。
ねえ、帰ろうか、
Yeah....., let’s go home, shall we?
ソウダネ。