トピック: 2-1 家探し(JJの話)

店のガラス戸を押すと、

「How can I help you?」

日に焼けたそばかすいっぱいの笑顔だった。

晶とロラン、そしてスティーヴンの3人を
あの狭苦しいコンドに置いて、
ぼくはマーロンの知り合いだというコナの町の不動産屋を訪ねた。

ぼくがどんな家を探しているかって、
彼女の前のカウンターの椅子に腰掛けると、
大きく見開いた目でじっとぼくを見た。

「Oh! My! ・・・God! ねえ、JJじゃないの!あたし、覚えてる?!」

そう言われて、
だけど目の前の女性が一体誰なのか
ぼくには咄嗟には思い出せなかった。
今、リンダ、って言ったっけ?

「ハイスクールの頃と変わらないわね、JJ!」
「・・・oh, wow! 」
 
ああ、そうだ、LRだ、思い出したよ、
この溶け出す寸前のアイスクリームみたいな視線。
こんなところで会うなんて、ぼくの育った街の同級生、
もう20年、いやもっとになるのか。

「ご家族でバケーション?」
「ん、まあそんなものさ、」
「あら、いいわね。それじゃあ、」

あの頃みたいにリンダが今にも壊れたラジオみたいに、
くだらないおしゃべりを始めるんじゃないかって、
ぼくはちょっとソワソワした。
だけど予想に反して彼女はちゃんとビジネスを心得ていてくれた。
そうか、もうお互いにティーンズじゃないんだ。

「二階建ての一軒家よ。
シャワー付きのベッドルームが3つ、どう?
すてきでしょ?隣家とも離れているし。
家族で気兼ねなく楽しめるわよ」
 
そう目の前に広げられたその家の写真に、
なんだかとてもいいように思えた。

「そうそう実はこの家ね、
遠くないうちに売りに出されるはずよ。
オーナーで、この家の設計をしたアーキテクトなんだけど、
実は彼、HIVの陽性なのよ。
その最期をテル・アヴィヴのね、
ボーイ・フレンドのそばで迎えるって、
向こうにいるのよ。
きっともう帰ってこられないわね」

「oh Really, i see」

ぼくはちょっと大げさに、でも軽くうなずいて、
やっぱりオンになったLR(Linda Radio)ーぼくたちはこう呼んでた、
リンダレィディオのチャンネルをオフにした。

「これから?ええ、もちろんよ!」

それからすぐにその一軒家まで
彼女のピンクキャデラックで案内してもらうことにした。
コナから島の南へと走り、海沿いの細い道へ出た。

ああ、やっぱり。
咲き乱れる鮮やかなブーゲンビリア、
白い塀、
海も、こんなに近い。
しかも何度か訪れたあのバリ島のスタイルだ。
東南アジアが好きなスティーヴンもこれなら文句なしだろう。
これ以上の家は、この先見つからないさ。

リンダは彼女の事務所までの帰り道ずっと、
故郷の街からいつコナに移り住み、
今は独り身で、犬のDr.アインシュタインと暮らしてて、
大都市なんかよりこの島の人間らしい生活が好きだって、
ここでは不動産がいちばんだって、
LRが入りっぱなしだったのに、
ぼくにはそれが妙に懐かしく聴こえた。
彼女の事務所に戻ると、ぼくは、
誰に相談するまでもなくこの家を借りる手配を済ませた。

家の鍵、と、彼女の電話番号、
おそらく個人的に電話することはないと思った、
をダッシュボードに乗せ、
コンドミニアムへと車を走らせた。
日本を出てまだ一週間なんて、嘘みたいだ。

「You What?!」
なぜおまえが辞めるんだよ!

あいつはそう言った。
天井から下がる裸電球を覆う
日に焼けたジャパニーズペーパーが
スティーヴンの広い額にぶつかりそうだった。
辞めなきゃならないのは、おれ!I am the one to quit! だろ?
あいつはそうとも言った。
そうだ、なにもぼくが辞めなくてもよかったかもしれない。
だけど、頭の隅で何かに規制されながらここに来ることは、
やはりできなかった。
今だけに、集中しなければならないから。

だけどぼくは実のところ、本当はずっと辞めたかった。
いや、やっぱりそれは嘘だね、
来年にはきっと辞めよう、なんてこと、
真剣に考えてたのはもう昔の話だ。
ぼくはあの街に長く居座り過ぎて、
なのにこれからも、店先でも、
銭湯でも、学生たちからも、
外の人、外からやって来た人、
髪の色が、目の色が、ちがう、英語を話す人、
日本語が上手やねえ、
ネバーランドのピーターパン、
日本のガイジーン。
社会にも恋愛にもコミットしないまま、
大人にならなくてもいい。
ウェスタンワールドから隔離された、
どこへ向かっているのかもわからないあの国で、
スティーヴンには申し訳ないが、
正直こんなことでもなければ
どんどんと現実から遠ざかって行ったかもしれない。
つまりあいつの腹部のフットボールは
あいつだけじゃなく、ぼくの溜め息でもあるってことだ。

信号がレッドからグリーンに変わった。
空はずっと遠くまで青かった。
道には、誰もいない。
ヤシの葉が熱い海風に、揺れる。
The Big Islandか。

これでいいんだ、後ろは振り向かない。
この春休みのラオスではまさかこんなことになるなんて、
思いもしなかった。
ちょっと胃の辺りが痛い、なんてあいつ、言ってはいたけど。

空っぽのコンドミニアムの地下パーキングで、
空港でレンタルしたこの車を
ぼくは今日もおなじ場所に停める。
まるで仕事から帰って来た人のように、
いつものことのように。

さあ、はじまりだ。

エレベーターの扉が開いた。